本の紹介

山根実紀『オモニが歌う竹田の子守唄――在日朝鮮人女性の学びとポスト植民地問題』インパクト出版会、2017年

読後の感想は、あまりに倫理的すぎる、これに尽きる。本書は若くして逝去した著者の遺稿集で、多面的な活動を展開した著者のすべてを網羅するものではなく、主として夜間学校民間学校(オモニ学校)における教師と生徒の権力関係を中心とした考察を収めたものである。

最初私は、なぜ著者は若くして世を去らなければならなかったのかという点が気になり、それに関する記述を本書内で探してみたのだが、くわしいことはふれられていない。繊細な問題を含むため、あえて詮索しない方がよいのだろう。ただ、著者自身の言葉を借りれば、文字通り「身を削って」(202頁:これは他のサバイバーを著者が表現している言葉であるが、著者にも当てはまるし、何より、この個所に行き当たる前に途中で、私自身が著者のことをこう表現したくなった)書かれた文章の束である。

著者の問題意識は鮮明で一貫している。それは、識字教育を受ける在日朝鮮人自身の「主体性」であり、それ以上に教師である日本人の問題の引き受け方である。著者自身が識字教室で教師の経験があり、そこから出会った女性たちを対象に研究者としての道を踏み出すことになるのだが、そこで著者が気付いたのは、自分を含め自らの権力性に無自覚な教師たち(著者はこのような言葉を使っていないが、自分の役割や肯定的な自己イメージに酔っている、とでもいえばいいのか)であり、本書のきつい言葉を借りれば、「夜間中学では生徒に「民族的自覚」を促そうという試みに目が向き、オモニ学校では「オモニ」という他者の存在による自己の肥大化が「感謝」する関係性を変革することができなかった」(249頁)。「自己の肥大化」とは言い得て妙である。著者は、自分はいいことをした、それを他者に承認されたい、という欲望から行動していたのに過ぎないのではないか、という疑問を抱く。この自分自身に刃物を突き付けるような問いがくりかえされ、読んでいて痛々しい思いに駆られる。そんなに自分を追い詰めなくてもよいのではないか。もっとも、私がこう思うのも、おそらく「亀の甲より年の劫」に過ぎず、若さゆえの問題の突き詰め方というものが鮮明に表れている。

著者の繊細さは、いくら言葉を重ねても表現しきれず(それは著者自身の悩みでもあったはずだ)、私のもどかしさを書き連ねるよりは、本書の記述に即してたどってみたい。一例として、日本人教師が通名で通っている生徒に対して、本名を名乗るよう働きかける運動があり、在日朝鮮人の「主体性」を形成するものとして取り組まれた時期があった。ところが、著者は「本人が「本名」を把握していない」(172頁)事例と出会い、そのような運動がそもそも不可能な人はどうするのか、と考えざるをえない。「教師たちの予め設定した生徒像を押し付けかねないのである」(同)。

また、識字教育に対する鋭い指摘は、フレイレの『被抑圧者の教育学』批判にも表れている。J.E.スタッキーの議論を参照しながら、著者は「フレイレの議論には、あたかも識字を獲得しなければ「意識化」できず「解放」されないと思わせるような側面があることを(スタッキーは:引用者補足)指摘している」という(209頁)。つまり、文字の読み書きがあたかも解放の必要かつ不可欠条件であるかのように語られ、それが多数派の序列に組み込まれることの差別性を無視するのは一面的ではないかというのだ。この指摘は、少数派の「主体性」を称揚するあまりに、多数派の権力構造に無自覚な研究者たちの死角を突いている。

また、公立夜間学校における識字教育とオモニ学校を比較した論考(修士論文)では、「オモニ学校では、「オモニ」からの糾弾という行為は、具体的にはみられない。日常的に衝突することは個々人の人間ではあっただろうが、夜間中学のような緊迫した空気というのは、ボランティアたる教師と「オモニ」との関係ではほとんどなかったようである。おそらく、ボランティアで集まったものたちに教えてもらうという空間では、日本人教師たちも自覚していたように、感謝の言葉しか出てきにくかったという事情があったと思われる。むしろ、先に引用したような、在日青年からの「告発」という形で、日本人教師の立ち位置を常に意識させてるとともに、教師側の在日青年と日本人青年との対話の場になっていた。オモニ学校における人間関係が、単に日本人教師と在日朝鮮人生徒という二項対立的な関係にとどまらず教師間にある在日青年と日本人青年という三者間の幾重もの関係が、オモニ学校の実践を生み出してきた点で特徴的である」という(245‐6頁)。つまり、単に日本人教師とオモニの関係を見れば二項対立に陥りがちな関係も、在日青年という第三項を加えることによって、二項対立を脱構築し、より積極的な意義を見出すことが可能であるというのだ。ただし、留保しておかねばならないのは、このことはオモニ学校の方が可能性に満ちているとは単純にはいえないことである。私見では、教わる側から厳しい要求を突き付けられることが多いと報告されている公立夜間学校の方が、むしろ日本人側の「主体性」を問うという意味では、可能性があったのではないかとも思われるからである。

著者が他に変革の可能性を見出しているのは、日本人教師だったある女性が、教え子のクリスチャンのオモニから、先生がクリスチャンになるように祈ると言われて、その後実際に洗礼を受ける事例である。この日本人教師N氏は、オモニのことをこう表現する。「ものすごく大きな等身大の自分を映し出す鏡って、わたしはよく表現するんだけど、自分より完全に大きな存在じゃないと映し出せないじゃないですか。その完全に大きな存在だったんですよ、オモニというのは」(282頁)。このエピソードは、私にとっては腑に落ちる話で、私自身、このようなマイノリティ女性に出会って、この人は私よりはるかに人間的に優れている、と関心させられたことがある。多数派と少数派の違いを超えて、素直に感動させられる瞬間というものが確かに存在するのだ。

とはいえ、そのような楽観的なトーンは、本書のごく一部にすぎない。教員の側から見てもっともきつい「告発」は、駒込武氏が担当した授業に出席した際のレポートで(194‐203頁)、暴力シーンが含まれる映像を駒込氏が予告なしに授業という場を用いて権力作用の下で見せたことについて、配慮が足りなかったと批判している。私が駒込氏ならこの一文を本書に収録しなかったと思うが、著者らしさが端的に著されている文章である。

 

本書について、アマゾンでレビューが一つだけあった。なるほどと思うところがあり、そのまま張り付ける。

彼女のひたむきと純粋さに星一つ加えた。それがなければ、目を背けたくなるような残酷な相貌が種々の論考から浮かんで来て星一つだ。なんて可哀想に、そう、思った。彼女が日本に向けている批判のいくばくかが、共感の対象にもはあてはまらないのか?この様な目配りが出来なかったのは、畢竟、彼女の責任になろうが、彼女の教導者に責任はないのだろうか?彼女の論考は、ほぼ、この教導者の思惑に沿って展開されているからだ。そこに疑いの目を向けられなかったのが、彼女の悲劇だった。もっとも、それは、部外者の眼に過ぎないだろう。彼女自身は、微塵も疑いも逡巡も感じていなかったろうから。

 

この評者の言いたいことはわかる。ただ、著者を「教導者」のエピゴーネンと決めつけてしまってよいのかどうかについては、私には異論がある。たしかに、若くして亡くなったため、本来より深く広く展開されるはずだった論考が中断されてしまった感は否めない(本書に収められた京都大学修士論文字数制限が惜しまれる)。それでも、この問題意識やその突き詰め方は、著者独自のものであろう。仮にそれを表現する言葉が自分のものとして熟していないとしてもである。著者をよく知りもしない人物が、匿名で(この評者もブログも公開されてはいるが)、しかも印象論で当人を断罪してしまうのは、傲慢というものだろう。この評者はもっと生産的な読み方ができなかったのだろうか。本書から学ぶべきことは、著者の「教導者」への追従ぶり(駒込氏の寄稿文中の言葉を借りれば「ステレオタイプ」)(297頁)ではなく、著者が問題に向き合った姿勢そのものであろう。何より、前述の駒込氏を批判したレポートが本書に収録されたことによって、著者が「教導者」にただ従うだけの「教え子」というより、「教導者」を乗り越えようとしていた様子がうかがえる。私なら収録しないだろうと書いた文章を、駒込氏があえて本書に採用したのは、著者のこのような意思を証拠として示したかったからだろうと推測する(私は匿名の書評氏よりも、駒込氏の方が信頼できる書き手として尊重する)。その意味で、本書は、単に独りよがりではない著者の問題意識がまっすぐに追究された本として、居住まいを正して読みたい書物である。まだまだ言い足りないことは残るが、ここでは著者の達成を言祝いで終わることにする。(この項書きかけ)

 

本の紹介

岡真理『ガザに地下鉄が走る日』みすず書房、2018年

著者はアラブ文学とパレスチナ問題の専門家で、私はまったくの門外漢ながら、著者の『記憶/物語』や『彼女の「正しい」名前とは何か』を読み、著者の繊細で文学者らしい感性に感心した記憶がある。岡氏の著作を手に取るのは、私にとっては久しぶりのことであり、門外漢ゆえどこまで理解できるのかおぼつかないと読み始める前には思ったものの、それは余計な心配であった。読むうちに引き込まれ、何度かうなずきたくなる場面や言葉に遭遇しては、ページを繰る手を止めて考えさせられた。

以下、印象に残った個所を記す。「植民地主義というやつはね、人間から脳みそを引っこ抜いてしまうんですよ」(36頁、在日高齢者無年金訴訟原告の言葉)、これはパレスチナ難民と在日コリアンの置かれた状況の共通性を示す言葉として引用されている。また、パレスチナ人映画監督を京都のウトロ(在日コリアンの集住地で、住民たちは「不法占拠」とされた)に案内したところ、「日本にも<難民キャンプ>があるとは知りませんでした」と彼は語ったという(198頁)。

イスラエルレイシズムアパルトヘイトと断じ、これを公然と批判するマンデラデズモンド・ツツ大司教も、シオニストから「反ユダヤ主義者」と誹謗されている」(92頁)。シオニストたちが反差別の闘志たちを差別主義者と断ずるとは、何たる倒錯か。「イスラエルの女性国会議員アイェレト・シャケド(一九七六-、二〇一五年より法務大臣)が自身のフェイスブックに、パレスチナ人も殲滅の対象である、なぜなら彼女たちはその体内で蝮の子(すなわちテロリスト)を育てるからだ、という文章を掲載して世界的な非難を浴びた」(118頁)。産めよ増やせよ、が国家に奉仕する国民を多産するよう女性を激励する言葉だとすれば、その裏返しで、「敵」の「産めよ増やせよ」を体現する(とシャケドが見なす)女性は殲滅の対象である。女性が「男並み」にナショナリズムに取り込まれるとこうなるという醜悪さ。

スペィシオサイド(spacio-cide)とは、パレスチナ難民二世の社会学者、サリ・ハナフィが「空間の扼殺」を言い表すために用いた概念で、それは「単に空間を物理的に破壊することを意味するのではない。「空間」とは人間が人間らしく生きることを可能にする諸条件のメタファーである。入植地建設や分離壁によって生活の糧である土地が日常的に強奪され、農業を営むにも慢性的な水不足に置かれ、夥しい数の検問所や道路封鎖によって移動の自由もない」状態をいう(221‐2頁)。これは「ガザ攻撃は、世界市場にイスラエル製の兵器の性能を宣伝するためのデモンストレーションの役目を果たしている」(247頁)という現状にも通じる。

本書で私にとってもっとも衝撃的だったのは、エリ・ヴィーゼルパレスチナ人の集団殺戮を行なうイスラエルを擁護し、英米の主要紙に6万ドルの意見広告を掲載した件である。彼は「今日、私たちが耐え忍んでいるのは、ユダヤ人対アラブ人の戦闘でも、イスラエルパレスチナの戦闘でもない。それは、生を讃える者たちと、死を称揚する者たちのあいだの戦い、文明と野蛮のあいだの戦いである」と主張した。これに対して、ナチスによるジェノサイドの生還者や子孫たちは彼を批判する声明を発表、「「二度と繰り返さない」というのは、誰の上にも二度と繰り返さないということを意味するのだ!」という言葉で声明を締めくくっている(252‐3頁)。エリ・ヴィーゼルともあろう人が、植民地主義者の古典的「文明/野蛮」の二分法に陥ってしまうとは、彼ほどの人であっても常に自己を顧みることがいかに難しいものであるかを示している。

本書の中で、相手の心情をたしかめ(られ)ないまま、著者がやや過剰というか勝手な解釈をしているのではないかと思われる記述もなきにしもあらずだが(必ずしも著者の解釈がまちがっているとはいえないものの、正しいという確証もない、という意味)、それは小さな瑕疵というものだろう。そのような記述も含め、本書は著者の感性に読者がどこまでついていけるか、試されるような書物だと思う。

 

 

 

本の紹介

目取真俊『ヤンバルの深き森と海より』影書房、2020年

一言で言うなら、深い怒りに全編覆われた書物、ということになろうか。私にとって目取真氏とは、鋭い刃をヤマトゥンチューに突き付ける論客であり、その印象は本書を読んだ後でもまったく変わらないどころか、むしろ強化されたといってもよい。

ヤマトゥンチューで、ヤマトゥンチューに根強い不信感を持つという目取真氏の主張を私が要約するのもおこがましいので、ここでは印象に残ったいくつかのエピソードを紹介するにとどめる。一つ目は、ヤマトから沖縄に移住してきた男性A氏の話で、彼は自然破壊に注意を払わない地元住民を批判し、孤軍奮闘しているつもりになっていたが、それでも現住居の環境には満足し、移住を成功だと思っていた。しかし、「目の前の海と砂浜が、かつて埋め立て計画があったのを住民が猛反対して守ってきたものであり、自分の住んでいる場所が、村の聖地であるウタキの一部を切り崩した場所であることをヤマトゥンチューA氏は知らなかった。/琉球自治を目指す彼のたたかいは、まだまだ続く」(55頁)。最後の一文はもちろん皮肉である。ああ、勘違いもはなはだしいとしか言いようがあるまい。

二つ目は、「集団自決」をめぐる、いわゆる大江・岩波訴訟である。大江健三郎岩波書店を訴えた赤松・梅澤両氏は、もともと裁判に関心はなく、原告側の弁護士に乗せられて訴訟を起こしたのだという(57頁)。これまた弁護士の知識と関心を悪用した、「腐れヤマトゥンチュー」とでもいうべき輩である。

三つ目は、いわゆる基地「移設」(本当は新建設なのだが、矮小化のためこの言葉を使う政治家がいかに多いことか)問題である。「「沖縄にいらない基地は本土にもいらない」あるいは「本土の沖縄化反対」ということをヤマトゥの平和運動家が口にする。そういう言葉を見聞きすると、不快感が込み上げてならない」(180頁)。この気持ちはよくわかる(というのはまたしてもおこがましいが)。なぜなら、70%以上の米軍基地を沖縄に押しつけておいて、たかだか一つの基地を「本土」に引き取ったところで、それを「沖縄化」というには程遠いからだ(もちろん基地を作られた住民は迷惑だが)。

もっとも、目取真氏は「たかが抗議行動で命など賭けていられるか」とも言う(306頁)。このくだりは、連日のように辺野古の建設現場に足を運び、カヌーを操って文字通り体を張ってまで反対行動に参加する彼自身の身を「命懸け」と表現する人たちに対する違和感(反感ではない)として表現されている。たかだかこんなことで命をかけてはならないし、世界にはもっと過酷な闘争に従事している人々もいるからだ。

他にもいろいろ書きたいことはある。辺野古の「現場にはまだ収骨されない遺骨(注:沖縄戦時のもの、引用者補足)が残っている可能性がある」(327頁)。それなのに工事を強行する政府は、死者を追悼するどころか、死者を鞭打つ非道な権力であり、それを支えているのが「本土」の人間である。そのことに対するいささか忸怩たる思いも私の中にはある。また、辺野古で活動中に突然拘束され米軍基地に長時間留め置かれた際には、「県選出の国会議員や弁護士が、外務省沖縄事務所、名護署、海上保安庁、沖縄防衛局などに問い合わせても、分からない、ここには身柄が来ていない、などの返事で、私が基地内でどういう状況にあるか確認できなかったという」(338頁)。まさしく「これは異常であり、恐ろしいことではないか」(同)。付け加える言葉はない。人権の「じ」の字もこうした連中の頭の中にはないのだ。

再びヤマトゥの話に戻ると、2016年に米軍元海兵隊員によって殺害された20歳の女性の事件の報道後、埼玉での集会で彼が講演した後での質疑応答では、「出てきたのは自分の活動や思いを延々と語るもので、事件についての質問すらなかった」という(357頁)。これまた私にとっては「あるある話」で、よく集会の主題に関係のない、個人的エピソードを長々と披露する人をみかけてきた。それにしても、だれのための集会なのか、参加者は考えなかったのだろうか?

これ以外にも、翁長知事の逝去を悼む文章には、感受性が衰えて喜怒哀楽に乏しくなっている私でさえ、不覚にも涙してしまった(少しだけだが)。その他、目取真氏のエネルギーを受け止める覚悟と勇気のある人は、直に本書を手に取っていただきたい。それだけの価値は十分にある本である。

 

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本の紹介

バリー・M・コーエンほか編著(安克昌訳者代表、中井久夫序文)『多重人格者の心の内側の世界ーー154人の当事者の手記』作品社、2003年(Barry M. Cohen etal(eds.), 1991, Multiple Personality Disorder from the Inside Out)

 

『心の傷を癒すということ』の著者である安克昌氏の最後の仕事として知り、最近少しずつ読んでいた本。素人である評者にはとても全体を論ずることはできない(決して難解な本ではない)ので、印象に残るエピソードを一つだけ紹介したい。それは多重人格者である母親を持った娘の言葉である。彼女の母はまっとうな人格の持ち主と若いころの娘の目には映っていたが、老年期に入り、おかしな面が見られるようになった。周囲の人はそれを加齢による病気や症状だと見なしがちだったが、実は彼女が3歳のころ父方の叔父から受けた性的虐待が原因であると判明、偶然出会った聡明な女性の援助により84歳にして治療を開始、87歳になってようやく統合されようとしているという(278—281頁)。こんなに高齢になってなお治療が可能(しかも治癒?という言葉が適切なのかどうかわからないが)とは、人間の能力の不思議さを思う。

この本を途中まで読んでいて、私は正直、自分は多重人格者ではないので、当事者としては語られている言葉が実感できず、どこか遠い問題として集中して読めないでいた。ところが、ある瞬間に、自分でも思い当たることがあるのに気が付いた。それは、私の中にも「意地悪な自分」と「親切な自分」の少なくとも二つの側面(人格とまではいえないかもしれないが)があるということに。私自身は多重人格者ではないという事実には変わりなく、その意味で当事者の言葉を「理解」できるというのはおこがましい。ただ、私の中の「意地悪な自分」は、本当は目の前の相手に好意を抱いているにもかかわらず、何かの拍子にふと意地悪な言葉を思い浮かべてしまうような振る舞い方をする。ある時、私は自分の意識のギャップに気が付いて戸惑ったが、これは「意地悪な自分」がさせていることで気にする必要はないと自分に言い聞かせ、その場を収めた。結局この判断は正しく、その後も何度か同じような場面に遭遇してもたじろがないで済んだ。これが意味するのは、「人格」とまでは言えないとして、私の中にも「複数の自分」が存在し、意識しない部分で時々自分の判断や物の見方が左右されるということだ。本当は傷ついているのに、怒っているのに、あたかも何でもないかのようにやりすごす(やりすごせる)、という具合である。私は「統合」されていると感じるので、この本に登場する多重人格者たちのように「非統合」に悩まされるということはない。それでも、自分の中にある複数性や他者性(独り言をいう自分は自分という他者と対話しているようなものである)に気が付いたことで、この多重人格者たちの心境に少しは近付けるのではないかと思っただけである。

評者は、以前安氏とともにこの本を訳した宮地尚子氏の著書に惹かれたことがある。宮地氏が安氏の存在から彼女の主要なアイデアの一部を導き出したであろうことは想像に難くない(私は宮地氏の他の著作を知らないので、勝手な決めつけかもしれない。思い込みだったらお詫びする)。ともあれ、ある本からある本に導かれ、自分がなぜその本を読むことになったか、当事者でもないのにどんな意味があるのか最初はわからず、後で気付かされるという体験をした点で、ある意味稀、私にとっては稀有な本と言えるかもしれない。くわしくは同書を参照していただきたい。

 

追記(2020.4.25)

本書が翻訳された当時は「多重人格性障害(MPD)」という診断名が使われていたが、その後は「解離性同一性障害(DID)」という病名に変更されている。本書では前者がそのまま用いられている。

他に印象に残ったことをあげると、同書ではMPD/DID当事者の交流機関誌として『FLOCK通信』が紹介されている。FLOCKとは「群れ」を意味し、「当事者の心の在り方を指」す言葉として採用されたそうだ(288)。私の解釈では、当事者たちの「群れ」でもあり心の中の「複数性」をさす言葉でもある。

 また、安氏は治療にあたっていた自分のことを「他人の毒を、自分の身体を通して濾過するようなことをしていた。それは人間のするべきことではなかった」(340)と述べたことがあるそうである。これは彼の師匠に当たる中井久夫氏が著書の中で、中井氏が診療後時々施術してもらっていたマッサージ師の言葉とも瓜二つである。マッサージ師曰く、自分たちは被治療者を解毒しているようなもので、そのせいで長生きできないとのこと。その言葉通り、そのマッサージ師は若くして亡くなってしまったとか。まさに他人のために身を削る職業である。

 

本の紹介

杉田俊介・櫻井信栄編・河村湊編集協力『対抗言論』1、法政大学出版局、2019

2週間ほどかけて少しずつ読んだ本。これも参考になる論文が多く、とてもすべてを紹介している時間がない。以下、目次といくつか目に留まった文章について言及する。

《特集①》日本のマジョリティはいかにしてヘイトに向き合えるのか

 《特集②》歴史認識とヘイト────排外主義なき日本は可能か

  • 歪んだ眼鏡を取り換えろ──「嫌韓」の歴史的起源を考える 【加藤直樹
  • 戦後史の中の「押しつけ憲法論」──そこに見られる民主主義の危うさ 【賀茂道子】
  • 朝鮮人から見える沖縄の加害とその克服の歴史 【呉世宗】

朝鮮人も使いよう」(179)という沖縄人による朝鮮人蔑視は、沖縄/ヤマトの二者関係だけでは論じられない重層性を浮かび上がらせる。

  •  われわれの憎悪とは──「一四〇字の世界」によるカタストロフィと沈黙のパンデミック 【石原真衣】

 

  • アイヌのこと、人間のこと、ほんの少しだけ 【川口好美】

 

オバマ効果」(210)について肯定的に評価しているが、これはかつて秋葉氏が提唱したおめでたい「オバマジョリティ」とどこが違うのか? オバマ発言以前に社会意識の変化があるのではないか(直野章子氏が秋葉氏を批判していた一文も記憶にあるのだが、すぐには思い出せない)

 「だったらあんたが書いてくれ」と言わないために 【康潤伊】

 《特集③》移民・難民/女性/LGBT────共にあることの可能性

  • 不寛容の泥沼から解放されるために──雨宮処凜氏インタビュー 【聞き手】杉田俊介
  • フェミニズムと「ヘイト男性」を結ぶ──「生きづらさを生き延びるための思想」に向けて 【貴戸理恵

貴戸氏にとって上野千鶴子氏はメンターなのであろうが、『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件』所収の北原氏の論考(吉田隆之『芸術祭と地域づくり――“祭り”の受容から自発・協働による固有資源化へ』水曜社、2019、に関する2020.4.12の追記参照)を見ると、朴氏を擁護する上野氏はフェミニストとしては危うい側面があり、ねじれた関係。

  • 黄色いベスト運動──あるいは二一世紀における多数派の民衆と政治 【大中一彌
  •  収容所なき社会と移民・難民の主体性 【高橋若木

 

  • やわらかな「棘」と、「正しさ」の震え 【温又柔】

「あるある」話の典型。マジョリティの差別意識にあふれた会話(しかも親が子をたしなめない)を咎めたマイノリティが、なぜ気まずい思いを抱かなければならないのか。親が彼女の言葉を引き取って誤ったとしても、その思いは解消されるわけではない。それでもなお自分の「正しさ」を疑い、言葉を模索する作家。

  •  LGBTと日本のマジョリティ──遠藤まめた氏インタビュー 【聞き手】杉田俊介

 

  • NOT ALONE CAFE TOKYOの実践から──ヘイトでなく安全な場を 【生島嗣+植田祐介+潟見陽+ルーアン
  • 反ヘイトを考えるためのブックリスト42 【本誌編集委員&スタッフ+ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会】

秋葉氏の論考については批判しなければならない点があると感じるが、それ以外の論文やエッセイなどについては読みごたえがあった。お買い得。2号以降にも期待したい。

本の紹介

長谷川紀子『ノルウェーのサーメ学校に見る先住民族の文化伝承――ハットフェルダル・サーメ学校のユニークな教育』新評論、2019年

この本もざっと目を通しただけである。それでも、著者が長期間に渡ってフィールドワークを行ない、丹念に準備した書物であることは伝わってくる。名古屋大学発達科学研究科に提出された博士論文がもとになっており、学術的ではあるが、決して衒学的ではなく、門外漢にも読みやすい。

著者は20年ほど英語教師として働き、その後名古屋大学の大学院に社会人入学したと奥付には書かれている。学部時代は、卒論調査でアイヌコタンを訪れ、無知なままに昔話を聞きたいとねだったそうである。著者はおそらく苦い思いとともに当時を回想し、「知らないということは罪なことだ。今さらながら、好奇心だけで動いてしまった若くて無知な頃の自分を思い出すと心が痛み、それを受け入れてくれたアイヌの人達には「申し訳なさ」でいっぱいになる」と書いている(275頁)。評者にも、このように苦い思いとともに振り返らざるをえない経験があるので、著者の反省は他人事とは思えない。

本書の特長は、ノルウェーのサーメにおける学校の役割を、特に北サーメと南サーメの差異に注意を払いながら慎重に論じている点である。ノルウェーにおけるサーメ政策は、日本のアイヌ政策と比べると格段に行き届いているのではないかとも思われるが、著者は楽観視を排し、厳しい現状を分析している。おそらくそのとおりなのであろう。著者が冒頭で紹介している「サーメの血」という映画は結構評判になった(評者は未見である)が、映画で描かれた当時の社会よりはマジョリティ側の対応は改善されたとはいえ、マイノリティが自分たちに必要な文化を伝承し、迷いなく生きるということは現代においても容易ではない。そのことと、また自分の立ち位置を自覚している著者には、今後はマジョリティ社会の分析にも手を広げていただくことを期待したい(著者の他の業績をまったく検索していないので、もう手掛けられているのかもしれない)。また、ノルウェーサーミのみならず、フィンランドスウェーデンではどうなっているのだろうかと、比較研究も可能だろう。そのような好奇心を掻き立てられる書物である。

本の紹介

安克昌『増補改訂版 心の傷を癒すということ』作品社、2011年

河村直哉『精神科医安克昌さんが遺したもの――大震災、心の傷、家族との最後の日々」作品社、2020年

 

今年になってNHK安克昌氏を主人公とした安氏の著書と同名のテレビドラマ「心の傷を癒すということ」が放映された。阪神淡路大震災25周年という節目の年でもあり、あらためて安氏の功績に光が当たられているのはうれしいことである。評者は、同書を以前に読んでいたのではあるが、当時は著者のすごさを十分に理解できなかったというのが正直なところである。安氏が被災者に徹底的に寄り添う姿勢を保ち、被災者にも届く平易な言葉で語ったせいで、正直「とんがった」つまりキャッチーな言葉として引っかかるものがなかったのである。だが、それはきわめて浅薄な読み方であったことに今回再読して気が付いた。衒学的な、それでいて苦難にある人たちを対象化し突き放す視点ではなく、安氏は自分も当事者も(安氏自身も当事者なのだが)が腑に落ちる言葉と紡ぎ続けた。最初に新聞連載として執筆を依頼、それを傍らで見守り、安氏逝去後も家族に取材を続け、一度は出版を断念しながらようやく時期が巡ってきたと判断し、出版にこぎつけたのが河村氏の著作である。河村氏は、妻が自分を責める言葉を聞き取り、自分の取材のせいで子どもたちがいじめにあっていたことを知り、はたして自分の文章が出版に値するのか自問、子どもたちが小さかったせいもあり、出版を断念すべきと判断した。それがその後、子どもたちも成長して家族の同意が得られたこと、また東日本大震災後安氏の経験と功績を世に伝えるべきだと思うようになった。

実は評者は、安氏の論文「臨床の語り――阪神大震災は人々の心をどう変えたか」栗原彬ほかほか編『越境する知2 語り:つむぎだす』東京大学出版会、2000年、所収、を以前に読んでいた。この書籍が刊行されたのは、安氏が亡くなる2000年の8月なので、刊行は同氏の死の直前ということになる。遺稿に近いだろう。私がこの本を読んだのはいつなのか、記憶がはっきりしないものの、おそらく刊行からそれほど日を置かずに購入したのではないかと思う。だからずっと以前に彼の文章は目にしていたはずである。それなのに、私にはさっぱり読んだ記憶がなかった。上述のように、おそらく安氏の文章がソーメンのようにつるつると流れてしまい、引っかからなかったのだ。本当は極めて重要な問題提起をしていたのにもかかわらず、である。当時の私は同書に収録された他の論者の方に関心があったのだろう。そのせいもあって、安氏の一文は読んだとしても記憶の底に埋もれたままになっていたのである。

今回読み直してみると、河村氏が著作で引用している「露出した「内臓」的現実」といった、ヴィヴィッドな表現が目についた。「家の「死体」」や「生活を想像させる品々」のことを「内臓」にたとえるのは、いかにも医師らしい表現であり観察眼である(269頁)。また、97年に神戸で起きた小学生連続殺傷事件のこのにもふれ、この事件が震災とは直接関係がないと断りながら、震災の「死」と「破壊」のイメージと川根合わせた人は多いだろうと推測している(270頁)。

河村氏の本で言及されていた、安氏最後の仕事である翻訳書、バリー・M・コーエン(安克昌訳者代表、中井久夫序文)『多重人格者の心の内側――154人の当事者の手記』作品社、2003年、を私はこれから読もうと思う。序文は寄せた中井氏は、安氏が感銘を受け精神科医を志すきっかけとなった恩師であり、監訳社の宮地尚子氏は同じく精神科医として後に「環状島モデル」を提唱する(宮地尚子『環状島=トラウマの地政学みすず書房、2007年)。私はこの「環状島モデル」に強く惹かれ、自分の研究に当てはめられないかと模索していたことがある。宮地氏の著作を高く評価しながら、その仲間であった安氏の著作の価値を見誤っていたとは、不徳の致すところというほかない。

(この項書きかけ)