本の紹介

安克昌『増補改訂版 心の傷を癒すということ』作品社、2011年

河村直哉『精神科医安克昌さんが遺したもの――大震災、心の傷、家族との最後の日々」作品社、2020年

 

今年になってNHK安克昌氏を主人公とした安氏の著書と同名のテレビドラマ「心の傷を癒すということ」が放映された。阪神淡路大震災25周年という節目の年でもあり、あらためて安氏の功績に光が当たられているのはうれしいことである。評者は、同書を以前に読んでいたのではあるが、当時は著者のすごさを十分に理解できなかったというのが正直なところである。安氏が被災者に徹底的に寄り添う姿勢を保ち、被災者にも届く平易な言葉で語ったせいで、正直「とんがった」つまりキャッチーな言葉として引っかかるものがなかったのである。だが、それはきわめて浅薄な読み方であったことに今回再読して気が付いた。衒学的な、それでいて苦難にある人たちを対象化し突き放す視点ではなく、安氏は自分も当事者も(安氏自身も当事者なのだが)が腑に落ちる言葉と紡ぎ続けた。最初に新聞連載として執筆を依頼、それを傍らで見守り、安氏逝去後も家族に取材を続け、一度は出版を断念しながらようやく時期が巡ってきたと判断し、出版にこぎつけたのが河村氏の著作である。河村氏は、妻が自分を責める言葉を聞き取り、自分の取材のせいで子どもたちがいじめにあっていたことを知り、はたして自分の文章が出版に値するのか自問、子どもたちが小さかったせいもあり、出版を断念すべきと判断した。それがその後、子どもたちも成長して家族の同意が得られたこと、また東日本大震災後安氏の経験と功績を世に伝えるべきだと思うようになった。

実は評者は、安氏の論文「臨床の語り――阪神大震災は人々の心をどう変えたか」栗原彬ほかほか編『越境する知2 語り:つむぎだす』東京大学出版会、2000年、所収、を以前に読んでいた。この書籍が刊行されたのは、安氏が亡くなる2000年の8月なので、刊行は同氏の死の直前ということになる。遺稿に近いだろう。私がこの本を読んだのはいつなのか、記憶がはっきりしないものの、おそらく刊行からそれほど日を置かずに購入したのではないかと思う。だからずっと以前に彼の文章は目にしていたはずである。それなのに、私にはさっぱり読んだ記憶がなかった。上述のように、おそらく安氏の文章がソーメンのようにつるつると流れてしまい、引っかからなかったのだ。本当は極めて重要な問題提起をしていたのにもかかわらず、である。当時の私は同書に収録された他の論者の方に関心があったのだろう。そのせいもあって、安氏の一文は読んだとしても記憶の底に埋もれたままになっていたのである。

今回読み直してみると、河村氏が著作で引用している「露出した「内臓」的現実」といった、ヴィヴィッドな表現が目についた。「家の「死体」」や「生活を想像させる品々」のことを「内臓」にたとえるのは、いかにも医師らしい表現であり観察眼である(269頁)。また、97年に神戸で起きた小学生連続殺傷事件のこのにもふれ、この事件が震災とは直接関係がないと断りながら、震災の「死」と「破壊」のイメージと川根合わせた人は多いだろうと推測している(270頁)。

河村氏の本で言及されていた、安氏最後の仕事である翻訳書、バリー・M・コーエン(安克昌訳者代表、中井久夫序文)『多重人格者の心の内側――154人の当事者の手記』作品社、2003年、を私はこれから読もうと思う。序文は寄せた中井氏は、安氏が感銘を受け精神科医を志すきっかけとなった恩師であり、監訳社の宮地尚子氏は同じく精神科医として後に「環状島モデル」を提唱する(宮地尚子『環状島=トラウマの地政学みすず書房、2007年)。私はこの「環状島モデル」に強く惹かれ、自分の研究に当てはめられないかと模索していたことがある。宮地氏の著作を高く評価しながら、その仲間であった安氏の著作の価値を見誤っていたとは、不徳の致すところというほかない。

(この項書きかけ)