本の紹介

小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている――アングラ経済の人類学』春秋社、2019年

久しぶりに人類学者の本を読んだ。私は経済人類学にはなじみがないので、本書の真の評価はできないのだが、それでも著者が筆達者であることはわかる。練達のフィールドワーカーとはこういう人のことを言うのだろう。とにかく、著者が香港で出会うタンザニア人をはじめとするアフリカ人たちの生活がおもしろい。まるで「魔物の巣窟」であるかのように想像する人も多い一角が、著者の手にかかると、危険ではあるが「普通」の生活の場であり、また同時に驚くべき多様性に満ちた取り引きの場であり、相互扶助の場でもあることが生き生きと描かれる。こういう本に出会うと、「ライティング・カルチャー・ショック」( James Clifford, George E. Marcus, Writing Culture: The Poetics and Politics of Ethnography)とはいったい何だったのだろうかと一瞬思わされてしまう。

本書のおもしろさは、著者が出会う人々や彼ら/彼女らが起こす騒動などのエピソードにあり、ここでは一つ一つ紹介することはしない。私なりに著者の主張を要約すると、この人たちの一見野放図な人間関係模様は、実はかなり経済合理的であり、それなりに理にかなったものであるということである。ただし、彼ら/彼女らは経済目的を優先するために自分の楽しみを犠牲にするのではなく、著者の言葉を借りれば「ついで」の論理で多くの仕事や人間関係をやりくりする。だれかに頼まれごとをされれば、自分の用事の「ついで」にできることであれば引き受け、自分の家族にお土産を届けてほしいと知人に頼めば、友人の方は自分の荷物に余裕があれば「ついで」に運んであげる、といった具合である。著者が出会った人々は、だれも完全に信用できる人間はいないと口々に言うのであるが、かといってまったく信頼していないわけではない。資本主義経済下で高度に発達した信頼関係とは別種の論理による信頼と助け合いの仕組みが成り立っている。著者の専門である経済人類学でいえば、「この「開かれた互酬性」は、メンバー相互の信頼や互酬性を育むことで「善き社会」を目的的に築こうとする「市民社会組織」の論理よりも、情報通信技術(ICT)やモノのインターネット化(IoT)、AI等のテクノロジーの発展にともない注目されるようになったシェアリング経済の思想により近しいものにみえる」(87頁)。たとえば、私はどうしてこれが成り立っているのかよくわからなかったものの、本書ではTRUSTという、彼ら/彼女らが既存のSNSを利用して運用している商売上のクラウドファンディングのようなものがある。著者曰く、これより洗練されたシステムは世界中にいくらでもあるが、「特別なプログラミング能力も仮想通貨も要らないし、誰にでもできる」(254頁)(私には無理だが)仕組みは、人類学者の用語でいえば、現代版ブリコラージュ(間に合わせの技法)ということになるのかもしれない。

私の乏しい経験でも、かつてアフリカ(著者の主要な調査地であるタンザニアを含む)を旅行していたとき、この人たちはダメもとで物事を頼んでくるなと思ったことがある。旅先で出会ったお礼に手紙を送ると、○○を買って送ってくれ、など。親しくなったわけでもないのに、よく気軽に頼むものだなとそのときは思ったが、日本の表面的には礼儀正しいが堅苦しい人間関係とは丸きり異なった関係のあり方が存在することだけは理解できた。本書を読むと、ダメもとのやりとりも含め、騙し騙される可能性や危険性を承知の上で、相手の事情を詮索せず、緩いつながりを保っていることこそが、人生を楽しみつつ彼ら/彼女ら経済合理性を追求するカギなのではないかと思えてしまう(実際にはそんな単純なものではないのだろうが)。私にはこんな生き方はとてもできないと思いつつ、自分の生活をよい意味で相対化するにはもってこいの本である。

なお、多少学問的なことを付け加えると、本書は経済人類学者の視点から書かれているものの、他分野の研究とも接続可能である。たとえば、香港という異郷で亡くなったタンザニア人を故郷に送り返すため人々が協働する様子は、移民研究でも議論されてきた(相互)扶助であり、また郷里でビジネスを展開したり寄付をしたりする活動は、これも移民研究で議論されてきたホームタウン・アソシエーションと類似している。読みやすいエッセイとして書かれているため、学問の世界には通じていない人も読めるし、またその中で展開されているアカデミックな議論は他分野の研究者にも参考になるという点で、多くの読者を楽しませる本である。