本の紹介

荻野晃也『科学者の社会的責任を問う』緑風出版、2020

著者は京都大学の研究者として、よく知られている「熊取六人組」の小出裕章氏らとともに原発立地地域の住民の反原発運動を支援してきた。本書の特色は、(1)これまで聖人視されてきた湯川秀樹が原爆反対を唱えながら原発推進には賛成してきたのではないかと疑念を持ち、湯川の隠されてきた一面を推測をまじえながら回顧していること、(2)原子力産業会議の原発推進役だった森一久を「原子力村」の御用学者ともども痛烈に批判していること、(3)著者が関わった伊方原発訴訟の顛末、特に東大のろくでもない原発推進派教授やヒラメ裁判官などの自堕落ぶりを暴露していること、などである。興味深いエピソードが随所に顔を出すものの、推測にとどまる点もあり、資料的な裏付けがないのが惜しまれる。ただし、著者が保存している資料で補強されている部分もあり、今後の検証が待たれる。以下、注目した点を抜き書きする。

「「湯川先生は原発推進に賛成」であることを表面に出すことなく、「核兵器廃絶を唱えてきた」のではないか」(30)

 

「特に私が反原発運動をする際に最も悩んだことの一つに「被爆者団体(被団協)が原発推進に賛成していた」ことがあります。被爆者団体の若い人たちが、私の研究室に押しかけて来て「反原発運動をするとは何事か」と断交のように追及されたことがありました。悲惨な原爆の強大なエネルギ^を「平和利用に使用すること」に夢を抱いておられたからでしょうが、しかし爆発エネルギーだけでなく、放射能被害のことを考えると、原発の方が「圧倒的に莫大な放射能を内蔵している」のですし、原爆で製造されるプルトニウム239は原爆になるからでもあります。/そのこともあって、湯川先生が「原子力」と言われる言葉には「原発」は含まれていないのではないか…と思い続けてきたのです」(39)

 

「一九七〇年代には原発建設が急増するのですが、理学部で力の強かった共産党の影響の強い「日本科学者会議」関係者が「原発建設」に批判はしていましたが、原発そのものには反対ではなかったのです」(67)

 

「第5福竜丸事件は、「核兵器の危険性」は勿論のこと、「放射能の危険性の証拠だ」と私には思われるのですが、日本中や世界中での「核兵器反対」の機運を高めこそすれ、大量の放射性物質を内蔵する「原発放射能・漏洩」のことは、「平和利用で安全に管理し、人類のエネルギーの確保」の本命のように、目をそらず役割を果たしたのではないか・・・と私は考えているほどです」(75)

 

梅原猛の「脱原発」論は一時期、その後原発推進に逆戻り(88)

 

「「被爆者団体協議会(被団協)」が原発推進だったこともあり、核兵器開発に反対だった人々は、反原発運動を避けていたようでした」(130)

 

「京大支部(全国原子力科学者技術連合)が若狭の原発に関わらないようにしたのには理由があります。若狭の原発に関しては、共産党系の住民が中心になっていて、すでに述べていますように、日本科学者会議系の科学者の支援もあり、原発に反対だった全原連を若狭から追い出すことが重要だった様です」(142)

 

原子力資料情報室代表就任交渉の際)「当時の原子核関係の研究者として、高木さんは森瀧さんの様に「核全面否定は難しかった」のだとは思いますが、反原発とまではいえなかった様でした。しかし「プルトニウム」の使用には反対」とのことで、私は久米さんに「プルトニウムの使用に反対なら、必ず原発にも反対になるはずだから、良いのではないか」と答えたことを覚えています」(149)

 

玄海原発住民訴訟は「異議申し立て」をしなかったばかりに、訴訟が認められなかったように思います」(157)

 

「一九七〇年前後の「学園闘争」と関連して、共産党の「過激派キャンペーン」が色々な形で行なわれていました。その一つに「原発に対する取り扱い」もありました。共産党の過激派キャンペーンに「過激派の裁判支援を行うべきではない」との主張に対して、関西の弁護士さんたちば「その主張に反対する声明」を出したこともあり、弁護士さんに対する共産党の選別も厳しくなったのかもしれません」(174)

 

伊方原発訴訟の)「支援者のスピーチの中に森瀧市郎」(180)

 

現在、反(脱)原発運動に関心を持つ人には必読書である。著者が2020年、本書発刊直前に逝去したのが惜しまれる。ご冥福をお祈りする。