本の紹介

清水展・飯嶋秀治編『自前の思想――時代と社会に応答するフィールドワーク』京都大学学術出版会、2020

 

最初は研究上の必要性から手に取ってその後しばらく放置していたが、『文化人類学』86(2)、2021、の書評を読み、再び読み始めた。一気に読了。「応答の人類学」プロジェクトに参加していた文化人類学者による執筆で、中に1人だけ取り上げるのに値するのか疑問な人物も含まれていたものの、他の人選については納得。中でも私が興味深く読んだのが、香月洋一郎による宮本常一論と青木恵理子による波平恵美子論である。2人とも日本をフィールドとして独自の業績を発表した研究者として後学の調査者には参考になる点が多い。特に香月氏の一文は、宮本常一から適度の距離を取り、具体的かつ実感的な宮本常一の著作を過度に抽象化することなくそのエッセンスを抽出した一文で、宮本への敬意が滲み出ていて味わい深い。青木論文も波平の業績に共感を寄せながら飲み込まれることなく、また過不足なく彼女の質的研究の意義を讃えている。ただ、惜しむらくは対象への敬愛が強すぎるあまりか、賞賛に終始し、批判的な考察が見られない論考も混じっていることである。それでも、よい読書案内として役立つ書物であろう。この本に収録されている論考よりも、対象とされている研究者の原著を読む方が得るものが多いかもしれない。(この項書きかけ)

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柴田優呼『プロデュースされた<被爆者>たち――表象空間におけるヒロシマナガサキ岩波書店、2021年

 

柴田氏の前著『”ヒロシマナガサキ神話”を解体する』(作品社、2015年)を楽しみながら読んだ読者としては、今回も期待を持って同書を手に取り、また期待が裏切られることはなかった。何よりも痛快なのは、マルグリット・デュラスが脚本を書いた映画『ヒロシマ・モナムール』(邦題『二十四時間の情事』)が遠慮会釈なく批判されていることである。かねてから私は、広島を見た/見なかったという意味ありげで内容的には空虚なセリフに惑わされ、一部の批評家たちがもっともらしくこの映画を高く評価してきたことに違和感を覚えてきたので、自分の違和感にようやく言葉が与えられた感がしてすっきりした。印象的な個所を一つ引用しておくと、デュラスは以下のような一文を書いていたそうである。

「観客が、これは日本人男性とフランス人女性の話であるということを頭から振り払えないなら、この映画の深遠な含意は失われる」。さらにデュラスはこうまでいっていたという。「この日仏合作映画は、決して日仏合同映画ではなく、反日仏合作映画とみなされるべきだ。それこそが勝利である」(163頁)。これこそ自分の作品の「深遠な含意」が読み取れない観客はバカであるとして、あらかじめ批判に蓋をする予防的言説にほかならず、「夜郎自大」というべきであろう。言葉は自分にはね返ってくるという点ではおそろしい。また、ここでは書かないが、デュラスが植民地主義にまみれた経歴を隠蔽し通した経緯など、参考になる点が多々ある。一読を勧める。(この項書きかけ)

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日高勝之『「反原発」のメディア・言説史――3.11以後の変容』岩波書店、2021年

 

著者は『昭和ノスタルジアとは何か』(世界思想社、2014年)で優れた言説分析を示したメディア論の専門家だけあって、期待をもって読んだ。主要な著作、論者、映画が手際よく俎上に載せられ、自分が知らない映画作品なども多く紹介されており、その点では参考になった。ただ、正直にいえば、同書には食い足りない点も残っている。

第一に、個々の論者の紹介に割くスペースが少なく、掘り下げた分析が不足している。これは紙幅の都合と主要な論者に焦点を当てたためやむをえないとは思うものの、評者が考えるには、かえって重要な論者やメッセージを見落としているように思われる。

第二に、メディア・言説分析が主題であるため、いわゆる草の根の人たちが反(脱)原発に注いできた努力や情熱に対する言及が欠けていることである。これは同書で紹介されるドキュメンタリー映画を通して少しだけうかがうことができるものの、基本的には本書の枠外である。

これらの点はないものねだりという趣もなきにしもあらずであるが、ただ、評者には必ずしもそれだけとは思えない。反原発運動・論争をメディア論に限定してしまえば、「現場」の雰囲気が欠如してしまうことは最初から予測できるからである。また、著者が既存のメディアに批判的であることはよく伝わるものの、著者自身の立ち位置(反原発なのか、原発容認なのか)は最後まではっきりしない。評者自身は、脱(反)原発の立場であり、自分で書くのであれば、最初に主張を旗幟鮮明に掲げてこのような本を書きたいと思う。著者が成田龍一を引用して本書で述べる「第三項」の導入(310)は、たしかに二項対立の固定観念を打破し閉塞した議論に風穴を開けるという点では有効かもしれないが、それは書き手が自分のスタンスを離れてこのような重大な問題を自由に論じられるということにはならないであろう。その点では、著者が自分のポジショナリティを明確にしてこの問題に取り組まれることを今後期待したい。

もちろん、同書は3.11以後の原発論争をメディアを中心に取り上げ、読みやすく、有益な書物であることもまたたしかである。一読を勧める。

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荻野晃也『科学者の社会的責任を問う』緑風出版、2020

著者は京都大学の研究者として、よく知られている「熊取六人組」の小出裕章氏らとともに原発立地地域の住民の反原発運動を支援してきた。本書の特色は、(1)これまで聖人視されてきた湯川秀樹が原爆反対を唱えながら原発推進には賛成してきたのではないかと疑念を持ち、湯川の隠されてきた一面を推測をまじえながら回顧していること、(2)原子力産業会議の原発推進役だった森一久を「原子力村」の御用学者ともども痛烈に批判していること、(3)著者が関わった伊方原発訴訟の顛末、特に東大のろくでもない原発推進派教授やヒラメ裁判官などの自堕落ぶりを暴露していること、などである。興味深いエピソードが随所に顔を出すものの、推測にとどまる点もあり、資料的な裏付けがないのが惜しまれる。ただし、著者が保存している資料で補強されている部分もあり、今後の検証が待たれる。以下、注目した点を抜き書きする。

「「湯川先生は原発推進に賛成」であることを表面に出すことなく、「核兵器廃絶を唱えてきた」のではないか」(30)

 

「特に私が反原発運動をする際に最も悩んだことの一つに「被爆者団体(被団協)が原発推進に賛成していた」ことがあります。被爆者団体の若い人たちが、私の研究室に押しかけて来て「反原発運動をするとは何事か」と断交のように追及されたことがありました。悲惨な原爆の強大なエネルギ^を「平和利用に使用すること」に夢を抱いておられたからでしょうが、しかし爆発エネルギーだけでなく、放射能被害のことを考えると、原発の方が「圧倒的に莫大な放射能を内蔵している」のですし、原爆で製造されるプルトニウム239は原爆になるからでもあります。/そのこともあって、湯川先生が「原子力」と言われる言葉には「原発」は含まれていないのではないか…と思い続けてきたのです」(39)

 

「一九七〇年代には原発建設が急増するのですが、理学部で力の強かった共産党の影響の強い「日本科学者会議」関係者が「原発建設」に批判はしていましたが、原発そのものには反対ではなかったのです」(67)

 

「第5福竜丸事件は、「核兵器の危険性」は勿論のこと、「放射能の危険性の証拠だ」と私には思われるのですが、日本中や世界中での「核兵器反対」の機運を高めこそすれ、大量の放射性物質を内蔵する「原発放射能・漏洩」のことは、「平和利用で安全に管理し、人類のエネルギーの確保」の本命のように、目をそらず役割を果たしたのではないか・・・と私は考えているほどです」(75)

 

梅原猛の「脱原発」論は一時期、その後原発推進に逆戻り(88)

 

「「被爆者団体協議会(被団協)」が原発推進だったこともあり、核兵器開発に反対だった人々は、反原発運動を避けていたようでした」(130)

 

「京大支部(全国原子力科学者技術連合)が若狭の原発に関わらないようにしたのには理由があります。若狭の原発に関しては、共産党系の住民が中心になっていて、すでに述べていますように、日本科学者会議系の科学者の支援もあり、原発に反対だった全原連を若狭から追い出すことが重要だった様です」(142)

 

原子力資料情報室代表就任交渉の際)「当時の原子核関係の研究者として、高木さんは森瀧さんの様に「核全面否定は難しかった」のだとは思いますが、反原発とまではいえなかった様でした。しかし「プルトニウム」の使用には反対」とのことで、私は久米さんに「プルトニウムの使用に反対なら、必ず原発にも反対になるはずだから、良いのではないか」と答えたことを覚えています」(149)

 

玄海原発住民訴訟は「異議申し立て」をしなかったばかりに、訴訟が認められなかったように思います」(157)

 

「一九七〇年前後の「学園闘争」と関連して、共産党の「過激派キャンペーン」が色々な形で行なわれていました。その一つに「原発に対する取り扱い」もありました。共産党の過激派キャンペーンに「過激派の裁判支援を行うべきではない」との主張に対して、関西の弁護士さんたちば「その主張に反対する声明」を出したこともあり、弁護士さんに対する共産党の選別も厳しくなったのかもしれません」(174)

 

伊方原発訴訟の)「支援者のスピーチの中に森瀧市郎」(180)

 

現在、反(脱)原発運動に関心を持つ人には必読書である。著者が2020年、本書発刊直前に逝去したのが惜しまれる。ご冥福をお祈りする。

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広島市立大学国際学部多文化共生プログラム編『周辺に目を凝らす――マイノリティの言語・記憶・生の実践』彩流社、2021年
興味深そうな論考が並び、思わず手に取った。まだ全部に目を通したわけではなく、私が関心を抱いた広島の被爆者に関連する論考から読んでみた。簡単な感想を記してみる。
 
柿木伸之「地図の余白から――記憶の交差路としての広島へ」
ベンヤミンの研究者らしく、明言はされていないが、そこかしこにベンヤミンの思想や概念(パッサージュ論など)を下敷きにした考察が展開されている。旧陸軍被服支や原爆スラムについて代表的な著作をもとに執筆されており、わかりやすくよみやすい。
 
向井均・湯浅正恵「「黒い雨」未認定被爆者カテゴリーの構築――原爆医療法制定とその改正過程を中心に」
現在に至るまで根本的な解決には至っていない「黒い雨」降雨地域の未認定被爆者の問題をその出発点に遡り、現在に至るまでの歴史的経緯について問題点を指摘した啓蒙的な一文。私が知らない細部については教えられ、参考になった。特に任都栗司なる人物が被爆者行政におそらく悪しき影響を与え、禍根を残す決定に深く関与したことはほぼ確実なのであろう。ただし、1960年に定められた「特別被爆者」(1974年に廃止)に関連して、「原爆症とは直接関わりのない一般医療費まで国費が負担」(363頁)と記している個所は問題がある。原爆症に起因する症状とそうでない症状をどのように切り分けられると著者たちは考えているのであろうか。たとえば、交通事故による怪我は明らかに「原爆症とは直接関係のない」とたぶんいえるだろうが(原爆で目に障害を負っている場合はそうはいえないが)、仮にそうだとしても怪我からの回復に原爆症が影響していないとはどのように判定できるのだろうか。

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砂野唯『酒を食べる——―エチオピア・デラシャを事例として』昭和堂、2019年

 

酒を主食としているほぼ唯一の民族が存在するという好奇心から、またこの本を高く評価している人が結構いるらしく、酒飲みを自負する人間として面白半分に読んでみた。生態人類学という私にはかなり縁遠い分野の研究であるせいもあり、気楽に読めた。最初は一日中酒を飲んで生活しているとは何とうらやましい人たちかと思っていたが、著者が説明するようにどうもそうではないらしい。何より酒もさることながら肉、魚、野菜などつまみ類をともに食べる食生活に馴染んでいる私にとっては、ごく限られた品数の酒(パルショータと呼ばれ主食でもある)で生活していくことはかなり大変であろうと想像できる。著者が栄養失調になったというのもむべなるかな。ご苦労を多としたい。

何より私が興味深く感じたのが、ポロタと呼ばれる地下貯蔵穴で、フラスコ型に掘り下げられた巨大な地下穴にパルショータの原料となるモロコシを長期保存できるという。これは単なる貯蔵庫ではなく、土地利用や村落内での人間関係(食料の貸し借りなど)と深く結びつき、著者は「富の固定を許し、それにともなう格差が、デラシャ社会のなかで抗争が繰り返される原因となっているのは皮肉なことである」(181頁)と述べている。生態人類学の食物や土壌の成分分析などは読み飛ばしたものの、世界の食文化・酒文化に関心を持つ読者にとってはお勧めであろう。

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岡村幸宣『未来へ――原爆の図丸木美術館学芸員作業日誌2011-2016』新宿書房、2020年

一読してうらやましいの一言。副題にあるとおり、この5年間における著者の展覧会作業記録や関わった芸術家や関係者との交友録が描かれており、著者が勤務する丸木美術館の性格上、芸術の社会性をくりかえし問う場面が多く、考えさせられる。中でも重要なのは、「原爆の図」のアメリカでの展覧会が、1970年依頼45年ぶりに2015年に開催されたことである。1970年当時は原爆使用に肯定的なアメリカ世論の影響もあってか、「原爆の図」は酷評されたが、今回は若い世代を中心に原爆使用に否定的な意見も広まっており、「原爆の図」も前回より高く評価された。著者はそこに将来に向けての希望を読み取っている。

ちなみに著者は、2015年に『《原爆の図》全国巡回――占領下、100万人が観た』を同じく新宿書房から2015年に公刊しており、多忙な中で執筆をこなした著者の精力的な作業は賞賛に値する。内容は、1950年代を中心に「原爆の図」が各地を巡回し人々を動員、様々な反響を巻き起こしていく様を詳細に記録したもので、一読をお勧めする。書評については、新宿書房のホームページを参照されたい。

www.shinjuku-shobo.co.jpなお、以前にも書いたことだが、丸木美術館は現在窮状打破のための支援の呼びかけを行なっており、志のある方々はご協力をお願いしたい。

当美術館へのご支援をお願いします | 原爆の図 丸木美術館