本の紹介

長谷川紀子『ノルウェーのサーメ学校に見る先住民族の文化伝承――ハットフェルダル・サーメ学校のユニークな教育』新評論、2019年

この本もざっと目を通しただけである。それでも、著者が長期間に渡ってフィールドワークを行ない、丹念に準備した書物であることは伝わってくる。名古屋大学発達科学研究科に提出された博士論文がもとになっており、学術的ではあるが、決して衒学的ではなく、門外漢にも読みやすい。

著者は20年ほど英語教師として働き、その後名古屋大学の大学院に社会人入学したと奥付には書かれている。学部時代は、卒論調査でアイヌコタンを訪れ、無知なままに昔話を聞きたいとねだったそうである。著者はおそらく苦い思いとともに当時を回想し、「知らないということは罪なことだ。今さらながら、好奇心だけで動いてしまった若くて無知な頃の自分を思い出すと心が痛み、それを受け入れてくれたアイヌの人達には「申し訳なさ」でいっぱいになる」と書いている(275頁)。評者にも、このように苦い思いとともに振り返らざるをえない経験があるので、著者の反省は他人事とは思えない。

本書の特長は、ノルウェーのサーメにおける学校の役割を、特に北サーメと南サーメの差異に注意を払いながら慎重に論じている点である。ノルウェーにおけるサーメ政策は、日本のアイヌ政策と比べると格段に行き届いているのではないかとも思われるが、著者は楽観視を排し、厳しい現状を分析している。おそらくそのとおりなのであろう。著者が冒頭で紹介している「サーメの血」という映画は結構評判になった(評者は未見である)が、映画で描かれた当時の社会よりはマジョリティ側の対応は改善されたとはいえ、マイノリティが自分たちに必要な文化を伝承し、迷いなく生きるということは現代においても容易ではない。そのことと、また自分の立ち位置を自覚している著者には、今後はマジョリティ社会の分析にも手を広げていただくことを期待したい(著者の他の業績をまったく検索していないので、もう手掛けられているのかもしれない)。また、ノルウェーサーミのみならず、フィンランドスウェーデンではどうなっているのだろうかと、比較研究も可能だろう。そのような好奇心を掻き立てられる書物である。