本の紹介

北田淳子『原子力発電世論の力学――リスク・価値観・効率性のせめぎ合い』大阪大学出版会、2019

奥付によると、著者は1993年以来、原子力安全システム研究所において、原子力発電に関わる社会意識の研究に従事。計量社会学的研究で、第11章「まとめと展望」を読めば概要は十分わかる。副題にあるように、原発世論は、リスク・効率性・脱物質主義(価値観)という三要素の力学によって変化する。このモデルは簡潔でわかりやすく、それに基づく以下の記述も妥当であろう。「脱物質主義は、どの時点でも原発態度のとの関係が明瞭に認められるが、この二三年間を通して物質主義的価値観が強まる傾向はない。したがって、福島原発事故後に高まった脱原発への支持は、電力に依存しない生活スタイルを志向するという価値観の変化をともなうものではない」(330‐1)。「原発世論は、内閣支持率のように短期的に揺れ動くものではなく、安定性がある」(337)。「福島原発事故によってリスクの要素が大きく強まっても、世論が原子力発電からの完全脱却に変化しなかったのは、生活や経済も重要であると認識され、効率性の要素が軽視されていないからである」(343)。ただし、ここでいわれている「生活」とは消費者のそれであり、被害者の「生活」ではない。

 

大阪大学に提出された博士論文が基になっており、著者は研究者としては誠実なのだろうが、この人の存在拘束性(原発推進組織に勤務)のしっぽがところどころに現れている。「原子力発電は発電時にCO2を排出しないので、原子力発電を利用すれば火力発電の利用を抑制でき、CO2排出量を削減できる」(48)というのは明らかな虚偽。「結果的に、原子力発電に関しては、「安全か安全でないか」に高い優先順位が与えられ、その傾向は福島原発事故関連のニュースによっても助長された」(65)というのは、あたかもそれ以外の要素も考慮されなかったのは好ましくないかのような書きぶり。「安全か安全でないか」以上に大切な要素があるのだろうか。また、原発は経済効率性が高いという一貫した前提で書かれており、脱原発に踏み切ったドイツはそのために苦労しているというが、廃棄物処理コストなどを無視した経済効率性論議は有害無益。さらに、ドイツにくわしいジャーナリスト・熊谷徹の記事から、ドイツでは「外国で起きた災害のために、十分に裏づけされていない情報が垂れ流しになっていたと述べている」と紹介する。怪情報もあったかもしれないとはいえ、日本では報道されていない有益な情報がドイツをはじめとする外国で紹介されていたこと(大沼安史『世界が見た福島原発事故』シリーズ、緑風出版など)に目をつぶってのこの書き方はないだろう。「批判的な歴史家の視点」(=「敵対的」ではなく「非共感的」)で書かれた吉岡斉『新版 原子力の社会史』については、「原子力利用が日本の電力供給や経済成長の面で果たした役割については言及されていない」(122)と論難するが、原発がどのように経済成長に貢献したというのか。貢献したとしても、「原発ジプシー」を搾取する構造を容認した上での肯定なら、それはやくざが金儲けして利益をあげたら経済貢献したといえるのと同じレベルだろう(これはちょっと言い過ぎかもしれない)。それに近年では地域経済学者でさえ、原発は立地自治体の発展に寄与しておらず、代替産業を考える必要があると主張している。おまけに、こういう論難の仕方が許されるなら、この人が原発事故被害者の書物を参考文献にもあげず目をつぶっているのは、それこそ「言及されていない」と非難されてしかるべきだ。一貫して原発を推進している石井孝明を参照しながら、他の論者を参照しないのはなぜなのか。笹川財団の西田一平太なる人物の「討論型世論調査」に関する論考の引用も、自説に都合のよい文献しか参照していないと批判されても文句は言えまい。学問の名の下に被害者を無視するのだろうか。まだちゃんとした書評は出ていないようだが、朝日新聞はお勧め本として紹介している。

https://book.asahi.com/article/12875244

検索してみると、渋谷敦司「震災後の原子力世論の変化と地域社会――原子力話法としての世論調査を超えて」『茨城大学人文学部紀要 社会科学論集』63、2017が適切に批判している。北田が行なった世論調査の分析について、渋谷は次のように批判する。「この世論調査データについては、原発推進原発増設の是非を問う設問ではなく、原発の利用の必要性について設問しており、しかも、選択肢の中に「利用もやむをえない」という項目があり、選択肢項目の文章がきわめて誘導的に作文されている点に注意する必要がある。…設問の仕方によって回答傾向が大きく異なってくる典型的な例であり、この調査の設問形式では、原発「賛成」意見の割合がかなり高く出る結果となっている。/このような従来の国や事業者サイドが行ってきた世論調査では、世論ないしは一般市民の意識は、原子力利用に否定的な傾向を示す場合、修正されるべき問題としてとらえられてきたと言えるだろう。事故のたびに動揺する「世論」は問題なのであり、「正しい知識や情報」を一般市民に提供することによって不安を鎮め、他方で原子力発電の経済的有用性や地球温暖化対策など環境面での有用性に関しても「正しい知識や情報」を提供し、原子力発電の必要性と原発再稼働に向けた「合意形成」を実現することが、これまでの世論調査研究および震災後の現在も継続されている調査研究の目的であることが確認できる。国や事業者側からみた「合意形成」とは、あくまで既存の政策の延長線上で原子力の利用を促進することを国民に受け入れてもらうということであり、原子力政策と事業者の事業計画および原子力利用を促進する論理、ものの考え方を「受容」してもらうことである。このような原子力に対する「公衆の受容」(public acceptance)の促進自体が政策主体と事業主体の重要課題となっているという事実に、注目する必要があるだろう」(22‐3)。原発推進側の基本的な発想を知るのに渋谷論文は必読である。

http://ir.lib.ibaraki.ac.jp/bitstream/10109/13117/1/20160181.pdf

北田の言説自体が、渋谷らが批判する「ニュークスピーク(nukespeak)」そのものである。

 

追記(2020.2.10)

週刊読書人』3324号(2020.1.24)に前田朗氏の書評が掲載された。前田氏も同書が「風評被害、過剰反応、ベストミックス、アベノミクスといったイデオロギーに塗れた語をふんだんに用い、ポジティブ・ネガティブという言葉を原発肯定・否定のそれぞれに割り振るなど、原発擁護の情熱が随所に滲み出ている」と指摘しながらも、「だが、それは本書の価値を損なうものではない」と一読を勧める。私は前田氏とは異なり、これは同書の価値を大いに損ねていると思う。それでも前田氏のいうように「脱原発派必読の書」といえるとすれば、それはこのようなニュークスピークに対抗して、脱原発を進めなければならないという自覚を確認する意味においてであると考える。『週刊読書人』の同じ号に掲載された「原発県民投票は民主主義をいかにヴァージョンアップさせるか いばらき原発県民投票の会共同代表・徳田太郎氏にインタビュー」も合わせて参照されたい。

 

追記(2020.4.2)

図書新聞』3440号(2020.3.21)にも阪口祐介氏の書評が掲載されたが、ベタ誉めに終始し、社会学者らしい批判的な視点は皆無である。私は阪口氏の専門については存じ上げないが、ことこの書評に限って言えば、北田の「ニュークスピーク」に飲み込まれているように見える。これなら分野的には専門家ではない前田氏の書評の方がよほど批判的な視点を保っている。もっと妥当な書評者を人選できなかったのであろうか。