本の紹介

才津祐美子『世界遺産白川郷」を生きる—―リビングヘリテージと文化の資源化』新曜社、2020年

必要性に迫られて読んだ本。半分は期待を満たされ、残りはやや物足りない感じがしたというのが正直なところ。著者は博士後期課程に入ってから白川郷をフィールドと定め、足しげく通うようになり、そのうち夏季には民宿の手伝いもするなどして、白川郷の人々と親しくなり、信頼関係を築いていった。その強みが本書の記述には活かされており、本書が白川郷研究の最新の成果であることは疑いないだろう。その点は明らかな強みである。

ただ、私が食い足りないと思ったのは、著者がより詳細を記すことができるだろうと思われるところがありながら、いわば骨格や大筋の記述や分析にとどめていることである。これはもったいない。なぜなら著者と当該地域の人々の間委に結ばれた信頼関係からいえば、著者にはもっと書けることがあっただろうと思われるからだ。たとえば、会合の折々で交わされる会話の数々、観察者の目に映る日常の何気ない行動の中に人々が込めた意味や思い、またジェンダー関係の詳細や、ステークホルダー間の分析など。これは本書の読者層がどのあたりに想定されているのかにもよるのだろう。これが一般読者向けなら問題ない水準、というよりは十分すぎる内容である。ただ、専門書としての性格が本書の基本であると思われるので、その点では、仮に一般読者にとってはたいくつであったとしても、詳細を書き込む方が価値が高まったのではないか。その点は、著者の判断を聞いてみたいところである。

もちろん、本書で私が学んだこともある。国民国家論と文化表象(オリエンタリズムなど)は、アカデミズムではよく知られた議論ではあるが、本書の特長は、それを平易な言葉で表現していることであろう。著者が第1章で問題視している過去の「大家族制」研究の影響力は、私も本書の分析を読むまで知らなかった。不明を恥じる点である。また、研究者が白川郷の変化を新しい分析視点を持ち込んで批判するのに対し、「問題は、そうした視点が詳しい説明もないまま、文化遺産の担い手の了解を得ぬまま、保全の現場に持ち込まれたことではないだろうか」(161頁)というのは、正鵠を得ているだろう。専門家と言えども、外部者として慎むべき点はあるのであり、その点は著者の住民に寄り添った視点の方に暖かさを感じる。研究者や観光客は肝に銘じるべきと思う。

他に私が知っていたことではあるが重要と思われるのは、白川郷にスポットライトが当たるようになる経緯である。かつて周辺集落でも見られた合掌造りは、1950年代に進んだダム建設によって移転を余儀なくされた住民たちが手放さざるを得なくなったものであり、戦後日本がいかに住民の生活を犠牲にして開発を進めてきたかという背景を持つ。その後伝統的建造物群保存地区の選定や世界遺産登録後も、住民は制度にしばられ、先述のように研究者や外部者の目線を時に迷惑視しながらも、自分たちの生活を守ろうとしてきた。そのような想像力を欠いた時に、外部者は合掌集落を「書き割り」のようなものとしてしか認識できないという陥穽がある。ことさら教訓的なことを述べるつもりはさらさらないものの、本書がきちんと学習したいタイプの訪問者に参照されることを願うものである。