本の紹介

中村隆之『野蛮の言説――差別と排除の精神史』春陽堂、2020年

大雑把に読んだだけだが、西洋大航海時代から始まって、現代の相模原障害者殺傷事件へと至る過程を、人種主義や優生思想を経由しながら「野蛮の言説」の系譜で読み解くという、思想史の手法に則った啓蒙書。15回と1学期の講義を想定して組み立てられており、西洋起源の他者支配の言説の系譜が見通しよくコンパクトに紹介され、参考文献も豊富である(巻末でもさらに補強されている)。

詳細については同書を参照してほしい。その上で、恣意的に印象に残った記述をあげると、たとえばダーウィニスムと社会進化論は明快に切り離せるものではなく、後者はある種前者の論理的必然として導き出されたものであること、またコンラッドの『闇の奥』を批判的に読むアーレントが、ミイラ取りがミイラになると言わんばかりの「野蛮言説」の枠組みをなぞってしまっているのではないか、など、微妙で、どちらが差別でどちらが差別反対へと向かうのか、分岐点の見極めを慎重にたどらなければならないと主張している。ヘイトスピーチが単に民族・人種差別を引き起こしているだけではなく、障害者差別と地続きであることを示して締めくくっているのは示唆的である。

あえて言えば、本書は骨格を描くことが主題であり、詳細については詰めるべき点が残されているように見受けられるし、より繊細で実証的な論証が必要と思われる個所が含まれている。それでも、コンゴにおけるベルギーの大虐殺(20世紀初頭で、1000万人以上)が多くの人に知られていない(私もこの本を読むまでは無知だった)事実。その現状を啓発するために本書が世に送り出された意義は小さくないだろう。簡便な議論と読書案内として便利かつ有益である。

社会学者と気候変動・地球温暖化問題

ジョン・アーリ(吉原直樹ほか訳)『<未来像>の未来――未来の予測と創造の社会学』作品社、2019年、をざっと読んだ。未来像の変遷は正直あまりよく理解できなかったが、一番面白かったのは3D印刷の話。3Dプリンターが普及しいろいろなものがオーダーメイドで作れるようになると、大量生産大量消費社会から脱却し、環境にも優しい生活が送れるようになるのではないかとも思われるが、そうは問屋が卸さないらしい。アーリ自身は、「さまざまな未来」、「起こりそうな未来」、「好ましい未来」のうち、「結局のところ好ましい未来が最も起こりそうでない」(241)と述べている。

この本が気候変動問題を第8章で扱っているので、以前ある社会学者が書いた気候変動・地球温暖化問題を扱っている本を批判的に読んだことを思い出した。ある社会学者とは金子勇氏のことである。元北海道社会学会会長で、福祉社会学や都市社会学の分野では名が知れた人。立派な社会学者なのであろう。ただ、金子勇『環境問題の知識社会学――歪められた「常識」の克服』ミネルヴァ書房、2012年、はいただけなかった。以下、気になった個所を列挙する。

被爆、被曝、被ばく、ヒバクの意図的な使用によって、マスコミでの原発批判は定着した」(21)とあり、注14で「(北海道新聞)会社をあげての被爆、被曝、被ばく、ヒバクの意図的な使用例の典型である」(201)と非難されているが、この使い分けがどのようにおかしいのかが例証・論証されていない一方的論難。

 

「これら自然再生エネルギーが十分に手にはいるまで節電しようというわけだが、とても本気だとは思えない」(41)

→批判の矢がどこに向かっているのか、政府の姿勢なのか、というよりは、“現実的でない”節電提唱派であるように読める。

 

「結果的に、世界で唯一の被爆国という歴史的国民心情に、福島原発による放射能被爆放射能汚染という現状が融合した。…ただし、新幹線や深海探索さらにリニアモーターカーや宇宙開発にも絶対安全な技術はないはずだから、原発以外のこれら大型工業技術も手放すべきか。これらの賛否はおそらく拮抗するはずだから、なぜ原発のみの全否定になるのかの理由を、主張者は明示する必要がある」(53)

→何重にもひどい。まず、「世界で唯一の被爆国」という認識がまちがい。著者の認識ではなく「歴史的国民心情」という社会意識にすりかえているのかもしれないが。「放射能」は「放射線物質」が正確。後者に至っては、車やタバコの害と比べて云々の論と同じ。原発事故被害にあったらという当事者意識皆無。

 

「…「三.一一」以降の社会学の課題を「反原子力社会」(長谷川2011a:2011b)に絞るような限定的思考は国民の期待を裏切る。なぜなら「逝ってしまった二万人」は原発爆発の被災者ではなく、自然災害の被害者だからである。大震災と大津波による生態系の破壊が原因なのだから、社会学からの対応でも生態系復旧・復興への最大限の配慮を求められるであろう」(203)

→一見正当な批判のようだが、二つの点で矮小化している可能性あり。一つは、長谷川氏は単に論点を絞っているだけで、「反原子力」のみを課題としているのではないだろうという点。もう一つは、生態系の破壊>原発被害と死亡者に基づく被害の大小を判定することによって、後者を矮小化している。

 

「フランスの原発比率八〇%、カナダの水力発電比率六〇%、インドの石炭火力発電比率八〇%などはそれぞれの気候風土の条件や経済政策によるところが大きいので、世界的な多文化主義の現代では相互に認め合うしかない。発電源バランスを維持してきた日本もまた独自の方向付けが可能であり、風力発電指向が強いドイツやデンマークだけが準拠すべき国であるという理由もない。それぞれの国民性や経済政策が異なるために、多文化主義は福祉分野だけではなく環境分野でも等しく適用できる。その意味で、多文化主義は「多分化主義」なのである」(204)

→悪しき「多文化主義」への開き直り。自然エネルギーなど政策誘導による振興が大なのに、「国民性」やトイレなきマンションを放置してきた「経済政策」を正当化・追認する「現実論」。

 

「この段階での福島発人災による死者はゼロである」(205)

→どこかの電力会社社員の原発維持・推進論と同じ。

 

「一つはヒロシマナガサキ、フクシマというカタカナ表現の定着である。もう一つは、被爆、被曝、被ばく、ヒバクの意図的混用である。これらの表現への疑問はマスコミレベルでは掲載されなくなった」(207)

→注14と同じく、「意図的混用」の何が問題なのか論じないまま一方的に断罪。

 

一方、金子氏に対する批判としては、以下の一文が参考になった。

北海道新聞』2013.12.3江守正多「地球温暖化懐疑論に応える」

江守氏の一文は、11.7の金子氏の寄稿に反論している。ようやく出たか、というか、この著者は『異常気象と人類の選択』を金子氏にののしられたから反論しているので、社会科学者界隈から批判が出てこないことが異常(少なくとも江守氏の一文が出るまで、社会学者から同様の批判が提出されたとは寡聞にして知らなかった)。

「温暖化の科学を装う言説(懐疑論)にも、逆に危機を煽る言説にも、その背後に政治的な意図がある可能性に注意が必要だ。米国では特にそのような政治性が顕著だと言われている。マラー教授のプロジェクトには、懐疑論を支持する機関からも資金が提供されていたが、その結論は懐疑論を否定した。このように、科学論争の背後にある政治的な対立を無意味にするような試みが今後もなされる必要があるだろう。なお。この話は拙著でも紹介しているが、金子氏の目には留まらなかったようだ」。妥当な批判である。

不勉強な私は、その後社会学者からどのような議論が気候変動・地球温暖化問題に関して提出されているのか知らない。ただ、ここでいっておきたいのは、江守氏が批判するように、この問題を言説(懐疑論)の問題として議論するのは問題の矮小化であるということだ。言説分析は社会学者の得意とするところではあるが、言説上の権力闘争としてのみ問題を扱うと、本当に危機的な状況を迎えているかもしれない現状から目を逸らし、上で述べたように原発を支持するかのような主張になりかねない。この問題に関しては、言説分析ではなく、(環境)社会学の重要な蓄積である公害問題から学ぶことが多いと思われる。公害防止のための予防原則と実際の被害補償である。もし金子氏のような議論に対する批判がすでに社会学者からなされているのであれば、このエントリーはお詫びの上修正するか削除する。

 

 

 

本の紹介

吉田隆之『芸術祭と地域づくり――“祭り”の受容から自発・協働による固有資源化へ』水曜社、2019

各地の事例を主にソーシャル・キャピタルの形成という視点から分析していて、最近はやりの芸術祭と地域づくりに関心のある読者ならもっと興味深く読めるだろう。残念ながら、各芸術祭の知識不足もあり、正直私はあいちトリエンナーレ以外は頭に入らず。ただ、8章の「表現の不自由展」についての分析は興味深く読めた。騒動が8月で出版が10月だから、急遽執筆出版されたことがわかる。この章を読んで思ったのは、中止を決定した津田氏に対して私もどちらかというと批判的な見方をしていたが、対応に追われた職員の負担を考えると、彼の判断もやむを得なかったのかもしれないと、もう少し好意的な評価に変わった。著者が所属する日本文化政策学会が「テロ未遂」としか声明で言えなかったのに対し、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)の声明は明快に「テロ」と断じていたと、自己批判も含まれている(巻末に資料として両声明文が掲載されている)。それにしても、菅官房長官や河村名古屋市長の言動はやはり噴飯ものだろう。菅の例によって木で鼻を括るような「答弁」と、河村の悪い意味でのポピュリスト的な政治家の致命的な側面が露になった。彼の南京大虐殺についての見解と合わせて、名古屋市民は「記憶する義務」(セジン・トプシュ(斎藤かぐみ訳)『核エネルギー大国フランス――「政治」の視座から』エディション・エフ、2019:267)と「落選させる義務」があるだろう。それに比べれば、ジェンダー的に問題のある表現をあえて使えば、大村知事の方が「男をあげた」感は否めない。彼はまともな保守政治家だったということだろう(大村氏がまともに見えるのは、安倍首相をはじめ他の政治家がひどすぎて、政治家を判断する基準が私の中で低くなったせいでもあろう)。

 

追記(2020.4.5)

岡本有佳・アライ=ヒロユキ編『あいちトリエンナーレ「展示中止事件」――表現の不自由と日本』岩波書店、2019年、を読んでいると、上記の私の大村氏・津田氏評はやや修正せざるをえなくなる。特に、編者の一人である岡本氏は、河村のみならず、むしろ大村氏や津田氏に鋭い批判を向け、不自由展委員会を排除した意思決定や検証委員会の人選や委員の視点のバイアス(「パヨクに偏らない」など)、条件付き再開のやりとりなどをめぐって詳細に経緯を説明している。氏曰く、あいちトリエンナーレ側は、「キュレーション」などと言いながら、実際に行なっていることは「検閲」であり(出品作品の内容にクレームをつけてきた)、「セキュリティ」が問題で中止を決定したとしているにもかかわらず、その後対応は可能と述べ(何のための中止だったのか?)、何より電凸で脅迫した人たちやその内容の検証がまったくないという。事実は批判されているとおりなのであろう。ただ、評者の意図は、まさしくこの差別する側とそれを扇動した政治家たちにこそ最大の責任があり、批判の刃が向けられるべきであるということで、大村氏や津田氏の問題点を免罪するつもりはない。くわしくは同書を参照されたい。

 

追記2(2020.4.12)

その後同書を読了。すべての論考に言及することはできないが、本書に収録されているほぼすべての論者に同意する。たとえば、中野晃一氏の「ナショナリズムを資源とする政治」は、トリエンナーレにおける「表現の不自由展」の中止と「嫌韓」は密接に関連しているとし、「安倍政権は後先を考えていない。未来永劫安倍政権を続けるのか、後は野となれ山となれという感覚なのか、自民党の党利党略ですらない。ショート・タームの政治が極限に来ているという点で、自民党の長期政権の中でも特異な状態だと言えるでしょう」、「一定のクオリティや信頼をもって世論を牽引していたメディアが、政権に首根っこを掴まれているような状態です。このように、安倍首相自身が言っていることはそれほど変わらないけれど、党内でも当該でもブレーキが効かない状態になっているのです」と指摘している(184—5頁)。つまり、いうなれば、現在の「嫌韓・断韓国」は底が抜けた差別意識の発露を体現する言葉に他ならない。

深沢潔氏のコラム「ある日のバスのなかで」は、私の経験に照らしても「あるある、これこれ」というエピソードを紹介している。『Will』を手にした70歳前後とおぼしき男性が、バスの車内でいちいちおせっかいな声掛けを行ない、相手の迷惑そうな反応をよそに、独善的に席の指示をしたり、説教をしたりする(196—7頁)。数年前、私も電車で移動する社内で、似たような体験をした。男性数人のグループが、大声で「韓国はけしからん」云々といった発言をまき散らし、聞いていた私は一日中不愉快な気分だった。

北原みのり氏「日本社会が排除し続けてきた少女」は、トリエンナーレで攻撃の対象となった《平和の少女像》を取り上げ、この少女像とソウル日本大使館前に設置された「慰安婦」に対する日本人歴史修正主義者の反応に共通点を見て取っている。問題をややこしくしているのは、朴裕河『帝国の慰安婦』(朝日新聞社)が、「慰安婦」と兵士たちが対応な存在であったという無知をさらけ出した書物であったのに、それを上野千鶴子氏が「表現の自由」に問題をすり替えて擁護するという展開を招いたことである(204—5頁)。北原氏ならずとも眩暈がしてきそうな状態である。北原氏は「ここで、底を止めよう」という一文で論考を締めくくっている。「表現の不自由展」を中止に追い込んだのは、このようなやりきれない政治家やその支持者たち、自分に都合の悪い歴史に目をつぶり、それどころかなかったことにするか、加害者のくせに被害者感情に基づいて被害者を攻撃するという、歪んだ日本社会の病理である。

 

本の紹介

山村淳平・陳天璽『移民がやってきた――アジアの少数民族、日本での物語』現代人文社、2019

無国籍ネットワークを主宰する陳天璽氏と日本で移民や難民の医療に携わり、彼らの声を外国人労働者弁護団のウェブサイトで紹介する医師・山村淳平氏が開いた連続セミナーの記録。日本における彼らの困難と希望が平易な言葉で語られている。内容についてくわしくは出版社のホームページを参照。http://www.genjin.jp/book/b472815.html 

本書で紹介されているベトナム人シスターが働く群馬県の「あかつき村」という施設は、精神を患ったベトナム人などが暮らす施設で、以前ETV特集「佐藤さんとサンくん~難民と歩む あかつきの村」(2018.11.6)でも取り上げられたことがある。

 

横井秀信『異端の被爆者――22度のがんを生き抜く男』新潮社、2019

『原爆体験と戦後日本』(岩波書店、2015)の著者直野章子氏がどこかで紹介していた本。表題通り確かに異端の人。農業を学び町おこしに関わり、トラブルから退職して西武グループ企業を渡り歩く。ワインやチーズにくわしく、波乱万丈の人生と書くと型にはまり切った紹介文になるが、他にうまい言葉が見つからない。亡くなった同級生のうち、丸岡文麿は京都で被爆体験を語っていた人。原邦彦は原民喜の甥。新潮社や文藝春秋という右翼系出版社は、”こんな出版社つぶれてしまえ”と思いたくなるような本や雑誌記事(嫌韓関係はその代表例)を出すこともあるが、時々は良い本を出すこともある。

 

中村哲『辺境で診る 辺境から見る』石風社、2003

「日本は情報の遅れに煮え湯を飲まされたが、決して情報戦に負けたのではない。情報戦なるものは所詮、宣伝上手の化し合いであって、虚構が事実を制することである。こんなものはいずれ破綻する。問題の本質は、戦争加担への断固たる拒否を、真の平和主義に依って表明しなかったことになる(それは、現実的に可能であった)。日本は、欧米に屈せざるを得ない自己の体質に敗北したのである」(38)

 

中村哲『医者、用水路を拓く――アフガンの大地から世界の虚構に挑む』石風社、2007

途切れ途切れに読んでいたのをようやく読了。中村氏の国会参考人発言の際、野次を飛ばし、嘲笑や罵声をあびせたのが鈴木宗男だというから(37)、鈴木はやはりいかがわしい奴だとあらためて思った。

 

中村氏と一緒に働いていた人たちの描写。「こんな状況下では人は寡黙になる。悲壮な決意表明や勇ましい会話はなかったと思う。彼らの行動そのものが、万の言葉よりも雄弁であった」(45)

 

対して、こんな反応もあったという。「私が敢然と食糧配給に携わった職員たちについて誇らしげに述べると、意外な質問に出くわした。/「『一チームが全滅しても敢行する』というのは軍隊の論理ではありませんか」/そうかも知れぬ。だが、ここに平和を唱える動きの弱さがあるような気がした」(48)

 

国際貢献や協力に絡んでありがちな話。「PMS病院で重きをなしていた医師たちの少なからぬ者が、JICA(日本国際協力事業団)で十倍以上の給与で雇われるという、笑えぬ話もあった」(58)

 

中村氏が困難に立ち向かってきた心理。「理不尽に肉親を殺された者が復習に走るが如く、不条理に一矢報いることを改めて誓った」(78)。私憤を公憤に昇華するとでもいうのだろうか、屈しない心を持った人だとあらためて思う。

 

中村哲・澤地久恵(聞き手)『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る――アフガンとの約束』岩波書店、2010

先週から起床してすぐ少しずつ読んだ本。心が落ち着く。言葉が浮いていない。大言壮語ではなく、苦難を地に足の着いたやり方で乗り越えてきた人の話。10歳で亡くなった自分の息子のことを除いて、身内への誉め言葉は言わない古風な人である。最初は日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から派遣されたということで、JOCSの職員だった知人のことを思い出した。火野葦平が伯父ということで、火野葦平にゆかりのある知人は今回の逝去をどう思っているのだろうかとも思った。アフガン人の誇りやタリバンアルカイダの違い、イラクの人が都会的なのに対してアフガニスタンの人々は良くも悪くも田舎者、近代国家という意味では統一されておらず群雄割拠の状態をどうやって統治できるのか、アメリカも日本も理解していない。自衛隊の海外派遣に国会で反対意見を述べた中村氏に発言の取り消しを求めた自民党議員や、なぜペシャワール会の若手職員の伊藤氏が襲撃され命を落としたのかと問う公明党議員を、澤地氏は悪意が感じられるという。水を得て食物の自給が可能になることを水路工事で裨益した人たちが「解放」というのは、机上の計算で「戦争」や「平和」を考えている人からすれば理解の範囲を超えている。昆虫が好きでファーブルを愛読し、クラシック音楽にひと時の安らぎを求めるような人が、医師の守備範囲を超えた土木工事に手を出し、人びとの信頼を勝ち得ていく道のりは、険しいしだれにでもできるものではないかもしれないが、現代社会における稀有な羅針盤である。

 

 

本の紹介

堀有伸『荒野の精神医学――福島原発事故と日本的ナルシシズム遠見書房、2019

 

 

著者は1972年生まれの精神科医東日本大震災までは東京で勤務していたが、「東京電力福島第一原子力発電事故に衝撃を受け、2012年から福島県南相馬市で暮らす」と奥付で紹介されている。本書はハフィントンポストなどに著者が寄稿した文章を編纂したもので、精神医学の観点から原発賛成派・反対派の双方を批判的に見ている点が特徴的である。

私が気になった個所をいくつか抜き書きしてみよう。

「外部から原発事故被災地にかかろうとする支援者の一部には、この「偉大な闘争」において重要なポジションを占めることを無意識的に願っている人々がいる。そこにある微妙な傲慢さ(ナルシシズムの問題)が、現地の人々のこころには負担となる」(82)

 

「しかし、2011年以降に現実に日本社会で進んでいるプロセスは、むしろ「コロナイゼーションの進展」と思えるような出来事である。震災から4年が過ぎた時点でも、避難を継続している人は約23万人いると考えられ、震災関連死と認定された人は福島県だけで1,900人に迫ろうとしている。しかしそうであっても、この社会・心理システムは無謬であり国民からの全幅の信頼を要求することが当然であると主張するかのような姿勢は一貫し、ある面ではさらにそれが強化されている」(95)

「通常、災害に遭った人々が賠償を行う場合には、次の3つの方法のなかのどれかが選ばれる。(1)東京電力に直接請求する、(2)原子力損害賠償紛争解決センターに和解の仲介を求める、(3)裁判所に訴訟を提起する。しかし請求にかかわる労力などを考慮すると、ほとんどの場合に1が選択される。/私は本職が精神科医なので、いろいろな出来事の心理的な影響を考える。今回の事故後に被災地で賠償請求を行う場合には、被災者の多くの方が、東京電力の指定する書式で請求し、その可否の判断を東京電力から伝えられることになる。この場合に、被災者は東京電力に怒りを向けながらも、全体としては事故後においても東京電力の影響力・支配力の大きさを体験してしまうのではないだろうか。社会的な葛藤解決において外部性・第三者性は、ほとんど導入されていない。2、3の方法を選択する人が増えているのは、私には望ましいことと思える」(95)

 

「私はその要因(再生エネルギーへの転換が進んでいないこと:引用者補足)の一つは、反原発運動にかかわる人々の思想的基盤の脆さと、それに由来する社会性の無さが運動への信頼を失わせ、ほとんど影響力を発揮できない状況が出現しているからだと考えている。/残念ながら、一部の反原発運動の主張は、既存の権威への陰謀論とそれへの非難・攻撃にその主張が常に収束し、建設的な議論が不可能となる印象を多くの人に与えてしまっている。/現在の社会的に活躍している人々の尊厳を著しく貶めるような主張を行う一方で、その実務を誰が代替するのかという顧慮はなく、もちろん自らがその責任を担おうとする気概も感じられず、結果として自分が実生活において全面的に依存している対象を見下し、一方的にその対象への倫理的な断罪を行っていることへの自覚が乏しい」(144)

 

中根千枝は「権威主義」や社会の上下関係を否定したわけではなく、「何よりも中根が批判したのは、日本における個人と個人のあいだでは、それぞれが基本的な人権を尊重した上でルールを設定して関係性を構築するということがきわめて稀で、「力関係」「影響・非影響関係」という形でしか関係性が安定しないことだった」(242)

 

「「反権威」のもつ権威性も、批判されねばならない。それが無責任に、さまあまな活動を行っている人を不当に攻撃していることの問題点が反省されなければ、それを封じるために、伝統的な権威が横暴に力を発揮することへの、根拠を与えることにもなる。それも、避けなければならない事態だ」(247)

 

「「中立的な立場から被害者に共感する」という一見すると道徳的な実践が、人のこころに誤った「万能感」を抱かせることがある。/その万能感が、科学などの信頼に足る他者の見解を軽視し、「加害者」とみなした対象に過剰な攻撃性を向けることに歯止めをかけなくさせる。/そして、そのような「万能感」を批判している時の私も、まさにその「万能感」にとらわれている。このような万能感(ナルシシズム)がつくり出す先進の監獄から、私たちはいかにして自由になることができるだろうか」(250)

 

「このような万能感の肥大によるナルシシズムの蔓延は、いかにして防げるのだろうか。/それは、非存在の、自らが責められ傷つくことのない場所に留まることを放棄し、多くの限界に制約され傷つくことのある当事者の責任を引き受けて、自らの立場を明確にしながらコミュニケーションを行うことだ」(253)

 

「ここで危惧されているのは、サン・チャイルドが撤去となった経緯について、「正しい反原発の主張や、現代芸術の進んだメッセージが、保守的で地元の利益にのみ固執する、原発を推進したい政府の権力と利益誘導に巻き込まれた人々によってつぶされた」という理解ばかりが横行してしまうことだ」(254‐5)

 

「しかし、大雑把な傾向として、原発を是とする立場からのメッセージは、人々の悲しみたい感情を抑圧して、「前向きな」行動に被災地の人々を固定しようとする傾向がある。/逆に反原発の立場からのメッセージは、悲しむ面を強調するのと同時に高いミッションへの参加をうながし、生身の生活する人間としてのニーズを抑圧する傾向がある。/しかし当事者は、過去の不幸な出来事に苦しんでいるのと同時に、現在の不自由と将来の生活についての不安にも苦しんでいる。矛盾することもあるが、その両者のニーズが満たされていかねばならない」(257)

 

「日本における議論が有益なものになるためには、場の空気に一体化してしまうことを警戒し、それぞれの個人が責任をもって一つひとつの課題に是々非々を判断できる力を、主体的に身につけていく努力が必要不可欠である。/そのためには、自らが純粋な被害者や、純粋に中立的な立場から被害者に同乗しているだけの存在だと考えることを断念し、自らの加害者性についても認識する精神性の強さを身につけていくことも求められている。そこから、立場の違う相手への寛容も生み出される。/今回のサン・チャイルドの件で私が主張した内容について、「無意識的ではあっても、原発の再稼働を推進し、再生エネルギーの社会における進展を妨害しその関係者を攻撃する」効果をもっているのではないか、と事後に私に指摘した人がいたが、それは正当だと考える」(261)

 

「私の理解では、ディスチミア親和型は、根底に全体との漠然とした一体感(甘えとも呼べると考えます)を抱いている点では、メランコリー親和型と一致している。しかし、社会的な役割を引き受けることについては徹底的に回避し、冷笑的な態度を維持している。つまり、社会と社会が与える役割は、意識の表層に近い所では、徹底的に脱価値化されて見下されている。/おそらく、ディスチミア親和型は、メランコリー親和型とそのパーソナリティが主力となってつくっている社会の欺瞞性に気がついている。その病理性に気がついているからこそ、そこに深くかかわることを避けている。しかし、それを回避して社会からひきこもるような方法では、精神的な糊口を保てるようではあっても、かえって実生活では周囲への依存度を高める結果になる。そうすると、日本的ナルシシズムの問題は解決されずに、逆に複雑化する」(276)

 

長くなってしまった。著者の良心的で反省的な態度は文面から十分にうかがえ、共感するところがたくさんある。ただ、短い寄稿文がもとになっているせいと、精神分析という学問の性格から、著者自身が認めているように、実証できないことを議論しているのではないかと思う点も多々ある。つまり、そう言われればそうかもしれないが、それをどうやって証明できるのかということである。そんなことをいえば、精神分析という学問の面白みをそぐことになると考える人もいるかもしれない。

ただ、ないものねだりではなく言いたいのは、著者はせっかく南相馬市に移住して住民や患者と関係を築き、もっと具体的に述べられることもたくさんあるはずだ。その点では、著者は人々の声に基づいた考察を十分には展開できていないと思う。著者は「御用学者」と一部の人から批判されたそうだが(私はそうは思わない)、そういう批判を受け止めることよりも重要なのは、著者が自分の体験をより地に足の着いた形で文章化することだと思う。

 

映画の紹介

岡崎まゆみ監督「40年 紅どうだん咲く村で」(102分)

主人公は美浜町新庄在住の松下照幸とその妻ひとみ。映画のイントロダクションは下記URLを参照。

https://benidoudan.themedia.jp/

2011年3月11日以前、福井県若狭湾周辺地域には14基(当時、廃止が決定していた「ふげん」除く)の原発が集中立地していた。10基の原発がある福島県の「浜通り」とともに、若狭湾周辺地域は「原発銀座」と呼ばれていた。

2011年3月11日、東北の太平洋沖で発生したマグニチュード9.0の地震津波によって、福島第一原発事故が発生。放射性物質が広範囲に拡散、不可逆的被害を今ももたらしている。

福島第一原発事故は、もう一つの「原発銀座」にも影響を与えた。

日本海に面した敦賀半島には、福井県敦賀市敦賀原発1、2号機、高速増殖炉もんじゅ、そして美浜町美浜原発1、2、3号機が集中立地する。

松下照幸(1948年生れ)さんが暮らしているのは、美浜町新庄地区。新庄は、美浜町の南にあり、滋賀県境に接する山林地帯である。

松下さんは、美浜1号機が運転を開始する前の少年のころは、原発に賛成していた。町に原発ができると、道路がつくられ、町が発展すると教えられていたからだ。

松下さんは高校を卒業後、当時の日本電信電話公社に就職。福井市内の労組青年部で原発の危険性に関する情報を知り始め、労組内の運動として原発に反対した。しかし、あることをきっかけに原発に関して猛勉強し、確信を持って反対に転じた。

集落のほとんどの家から原発あるいは原発関連事業に働き手を出している中で、地元・美浜町内で「反対」の声を上げることははばかられた。そんなころ、松下さんの母親の、息子を信頼する勇気ある行動を見て、松下さんは考えを変えた。美浜町でもおおっぴらに反対の声を上げることにしたのだ。しかし、それは原発で働く町の人たちから厳しい視線を浴びる、町の嫌われ者になることでもあった・・・。

松下さんは原発にかわる地場産業があれば、原発で働かなくてもよくなるのではないかと地場産業を模索した。新庄地区の旧大日開拓村で「紅どうだんつつじ」という花木と、それを一人で守り続けるおじいさんに出会った。「愛らしい紅どうだんは集落の宝物」だと、おじいさんから花木を受け継ぎ、2002年に運営を始めた「森と暮らすどんぐり倶楽部」の事業の1つとして、守り育てることにした。

そして、2011年3月11日を迎えた。

日本各地が、原発再稼働か、廃炉かで揺れ始めた。

しかし松下さんは、美浜町民は「原発がある不安と、原発が無くなると雇用が失われる不安」に揺れていると感じていた。そして危機感を持ち、動き始めた・・・。

 (引用ここまで)

松下氏は「森と暮らすどんぐり倶楽部」を運営している。

http://www1.kl.mmnet-ai.ne.jp/~donguri-club/

機関誌『森の国から』もこのサイトで読める。

 

ここからは私の要約と感想である。

松下氏は「さよなら原発神戸アクション」で講演。http://sayogenkobe.blog.fc2.com/

松下氏といっしょに美浜原発を見学したドイツからの来訪者ベアルベ・ヘーンという人は、発電所を抱えた自治体の発想はドイツでも日本でも同じだと言っていた。

その後、松下氏は美浜町に対して提案を行なう。この提案、は半田正樹「地域循環型社会として自立する女川」篠原弘典・半田正樹編著『原発のない女川へ――地域循環型の町づくり』社会評論社、2019、で次のように批判されている。「なお、先に紹介した福井県美浜町議の松下照幸の提案、美浜原発で発生した使用済み核燃料だけに限り、放射能のゴミを美浜町で保管することを受容するが、その対価として「使用済み燃料保管特別税(仮)」を徴収する、というのはそのまま素直に認めることはできない性質の問題である。「町の原発で生み出したのだから、その保管・処分も町で行う」という発想は、まっとうな、純朴さを湛えた正論のよう映る。しかし、当の町の将来世代にも確実に負担がかかる放射能のゴミ問題は、劇毒物を一か所に集中し、持続することに伴うリスクの問題なども視野にいれて考えるべき問題ではないだろうか」(223)。映画の中でも、原発反対グループとの話し合い(缶ビールを飲みながら)の中で、「電力会社の責任で行なわれるべき」と批判されていた。私も同意見である。ただ、そういう提案でもしないと前に進めないと松下氏は言っていた。ともあれ、飯田哲也氏の助言を得て、立命館大学のラウパッハ・スミヤ ヨーク氏と共同で美浜町を訪れた後、居酒屋で飲食しているとき、ラウパッハ・スミヤ氏は「これで返事がなかったら失礼」と言ったが、その後美浜町からの返事はなく、町が提案を退けたことを松下氏は新聞報道で知ることになる。

その後、ドイツの再生エネルギー事情を見学するため有志といっしょにドイツの小さな自治体を訪問、環境団体関係者とも懇談し、ドイツ側からは「ドイツでも環境問題への関心は高くなく、経済を優先する人の方が多い」との発言。対して松下氏は、「自分は40年間ずっと負け続けてきたが、自分の唯一の誇りは諦めなかったことだ。あなた方が成し遂げたことは誇りに思うでしょう」と応じる。そしてよい訪問だったと振り返る。

氏は1998年から2期町議会議員を務めた。圧力がかかるからと作らないつもりでいた講演会は肝の太い知人が作ってくれたという。その後援会長に対して、対立候補を立てるからその会長に鞍替えしないかと関電関係者から圧力がかかる。後援会長は激怒、発電所の次長に話をすると、そんなことをだれがするのかととぼけていたが、実はその次長が圧力をかけていたことが判明。後援会に対する嫌がらせを聞いて、人びとは、そういうことをすうるのは関電に落ち度があるからではないかと考え、松下氏を支持した。松下氏も正体不明者に一度呼び出され、妻に「もし時間までに帰ってこなかったら警察に連絡するように」と言って家を出た。結局、キャンセルで会うことはなかったものの、氏は、普通の連れ合いなら止めるだろうが、うちの嫁は行ってきなさい、といって止めてくれなかったと笑いながら話す。妻は、止めても聞くような人ではないから、とこちらも笑顔で話す。それでも、選挙では苦労が絶えなかったようで、松下氏によれば、嫁は2度白目をむいて倒れたそう。それで嫁との約束で2期で辞めた。

その後、町長選挙原発経済からの脱却を目指す遠縁の若い世代が立候補した際には応援に回るが、落選。1・2号機が止まるというのにこの無関心は何なのだろうか、と候補や松下氏はいう。候補は「エネルギー環境教育体験施設」(美浜町エネルギー環境教育体験施設館)は無駄だから止めようと訴えたが、届かなかった。2015年に関電は1・2号機の廃炉を決定した。

2016年、松下氏は3号機運転再開取消訴訟の原告に加わる。同じ年、町の有力者からの働きかけで再び町議に立候補、無投票で当選。氏も妻も、投票になってほしかった、どれだけ自分たちの訴えが届いているかがわかるから、と語った。

上映される映画館は少なく期間も短いが、多くの人に見てもらいたいものだ。