本の紹介

才津祐美子『世界遺産白川郷」を生きる—―リビングヘリテージと文化の資源化』新曜社、2020年

必要性に迫られて読んだ本。半分は期待を満たされ、残りはやや物足りない感じがしたというのが正直なところ。著者は博士後期課程に入ってから白川郷をフィールドと定め、足しげく通うようになり、そのうち夏季には民宿の手伝いもするなどして、白川郷の人々と親しくなり、信頼関係を築いていった。その強みが本書の記述には活かされており、本書が白川郷研究の最新の成果であることは疑いないだろう。その点は明らかな強みである。

ただ、私が食い足りないと思ったのは、著者がより詳細を記すことができるだろうと思われるところがありながら、いわば骨格や大筋の記述や分析にとどめていることである。これはもったいない。なぜなら著者と当該地域の人々の間委に結ばれた信頼関係からいえば、著者にはもっと書けることがあっただろうと思われるからだ。たとえば、会合の折々で交わされる会話の数々、観察者の目に映る日常の何気ない行動の中に人々が込めた意味や思い、またジェンダー関係の詳細や、ステークホルダー間の分析など。これは本書の読者層がどのあたりに想定されているのかにもよるのだろう。これが一般読者向けなら問題ない水準、というよりは十分すぎる内容である。ただ、専門書としての性格が本書の基本であると思われるので、その点では、仮に一般読者にとってはたいくつであったとしても、詳細を書き込む方が価値が高まったのではないか。その点は、著者の判断を聞いてみたいところである。

もちろん、本書で私が学んだこともある。国民国家論と文化表象(オリエンタリズムなど)は、アカデミズムではよく知られた議論ではあるが、本書の特長は、それを平易な言葉で表現していることであろう。著者が第1章で問題視している過去の「大家族制」研究の影響力は、私も本書の分析を読むまで知らなかった。不明を恥じる点である。また、研究者が白川郷の変化を新しい分析視点を持ち込んで批判するのに対し、「問題は、そうした視点が詳しい説明もないまま、文化遺産の担い手の了解を得ぬまま、保全の現場に持ち込まれたことではないだろうか」(161頁)というのは、正鵠を得ているだろう。専門家と言えども、外部者として慎むべき点はあるのであり、その点は著者の住民に寄り添った視点の方に暖かさを感じる。研究者や観光客は肝に銘じるべきと思う。

他に私が知っていたことではあるが重要と思われるのは、白川郷にスポットライトが当たるようになる経緯である。かつて周辺集落でも見られた合掌造りは、1950年代に進んだダム建設によって移転を余儀なくされた住民たちが手放さざるを得なくなったものであり、戦後日本がいかに住民の生活を犠牲にして開発を進めてきたかという背景を持つ。その後伝統的建造物群保存地区の選定や世界遺産登録後も、住民は制度にしばられ、先述のように研究者や外部者の目線を時に迷惑視しながらも、自分たちの生活を守ろうとしてきた。そのような想像力を欠いた時に、外部者は合掌集落を「書き割り」のようなものとしてしか認識できないという陥穽がある。ことさら教訓的なことを述べるつもりはさらさらないものの、本書がきちんと学習したいタイプの訪問者に参照されることを願うものである。

本の紹介

パール・バック(丸田浩監修・小林政子訳)『神の火を制御せよ――原爆をつくった人びと』径書房

本書を知ったのは、熊芳『林京子の文学――戦争と核の時代を生きる』の参考文献としてあげられていたからである(この本の紹介については他日を期したい)。本書は、『大地』などの作品で知られるノーベル賞作家パール・バックが、核兵器を製造した側の視点から、核兵器開発に奔走する政治家とそれに協力し、後には反対することになる科学者たちの激動の5年余りを描いた作品である。作品は、4章とエピローグからなり、ナチスドイツとの原爆開発競争に端を発し、日本の真珠湾攻撃により(第2章では、永年アメリカで暮らした日系アメリカ人の画家が、計画のリーダー的存在である科学者宅を訪れ、強制収容所に移送される前に別れのあいさつをするシーンもある)本格的に原爆開発の乗り出したアメリカが、シカゴで核分裂実験に成功した科学者たち(そのリーダーは、ノーベル物理学賞受賞で著名なエンリコ・フェルミ)を動員し、その後巨額を投じたマンハッタン計画により原爆実験に遂に成功、広島と長崎に原爆攻撃を行なうまでの経緯を詳述している。原爆完成間近になり、その驚異的な破壊力を人体に行使するのを阻止しようとした一部の科学者たちは、ワシントンを訪れ、政治家たちや軍人たちに核兵器の使用を思いとどまるよう説得を試みるのだが、それはかなわず、失敗に終わる。第二次大戦終了後、マンハッタン計画に参加した科学者たちは虚脱感にとらわれて仕事場を去り、新しい道へと踏み出すところで物語は終わる。この歴史を縦軸とすれば、男性科学者たちとその妻、また一人だけ登場する女性科学者と男性の同僚たちなどとの男女関係が横軸として組み合わされ、良質な娯楽作品になっているように思われる。ただし、監訳者の丸田氏によれば、一時この本はアメリカでは入手困難になっていたそうで、その謎を解き明かすべく翻訳にとりかかるのだが、結局その謎は解かれないままである。また、ただ一人の女性科学者は、パール・バックの分身のような人物であると述べられている(396頁)。ただ、それを補って余りあるのが、監訳者自身による行き届いた解説で、一度手に取ってみて損はない内容と思われる(この項書きかけ)。

本の紹介

鈴木道彦『余白の声 文学・サルトル・在日――鈴木道彦講演集」閏月社、2018年

すでにいくつか書評も出ているようだが(朝日新聞週刊読書人、他にもあるかもしれない)、ここでは私独自の視点から評してみたい。私は在日コリアンと日本人の関係に関心を持ち、在日朝鮮人作家の作品も少しだけ読んできたつもりではあるが、専門ではなく、しかも文学というよりは社会学的関心の方が強かった。その意味では、私の紹介は専門家のそれというよりは、素人の戯言に近いかもしれない。ただ、それでもここに書くことにそれなりの意義があるとすれば、それは「素人の怖いもの知らず」的な部分にあるだろう。言い換えれば、素人ゆえにこそかえって率直に言えるものもあるということである。したがって、以下に述べることに興味も関心もない方は無視していただいてかまわない。

著者の鈴木氏は、フランス文学の泰斗で、その父もマラルメを中心としたフランス文学者として知られる。彼の父は、戦前資産家の跡取り息子の気楽さからか、金に糸目をつけずに稀覯本を含む多くの書籍を購入、戦災を恐れて家に重武装の書庫を設置、おかげで戦火を免れたそれらの書籍は、戦後獨協大学の図書館に寄贈されたことが講演で語られている。

もっとも、本書の主題は、広い意味でのフランス文学ではなく、むしろ在日朝鮮人の「問題」にいかに日本人として戦後責任(高橋哲也)を果たし、戦後日本人が忘却してしてしまった植民地主義を克服するかである。そのことがくりかえし語られ、その導きの糸、あるいは補助線としてサルトルが参照されるという構成になっている。植民地主義という主題でフランスと日本を串刺しにするという点では、著者の姿勢は終始一貫している。

著者は最初から在日朝鮮人と植民地化をめぐる問題に関心があったわけではなく、もともとはフランス留学時に、フランス植民地からの独立を目指したアルジェリア人たちの闘争に感銘を受け、それを日本に紹介する過程で、「在日」の「問題」とも遭遇した。日本でアルジェリア独立運動に通じた人士がいなかったこともあり、著者はメディアに請われるままに関連する文書を寄稿、その際に、遠いアルジェリアのことではなく、近い(実際は遠かったと鈴木氏は述べている)朝鮮半島のことを日本人として引き受け、応答責任を果たすべきであると考えた。そして、本書で述べられている小松川事件や金嬉老事件に関わっていくことになる。この時代については、上野千鶴子氏から執筆を勧められて著したという『越境の時』に詳しく述べられている。

『越境の時』の緊迫感あふれる文章に比べれば、本書は講演集という性格もあってか、同じ主題をより容易に、親しみやすい語り口で読者に伝えている。重複する内容もあるが、たいくつせず、重い主題なのにすらすら読める。というのは、鈴木氏が扱っているテーマは、私にとってすでに馴染みのものだからである。つまり、脱植民地化に責任があるのは被植民者の側ではなく、むしろ植民者の側である。この主題は、多くの日本人が目をつぶってやり過ごしてきたばかりではなく、むしろ近年になって歴史修正主義やヘイト・スピーチにより一層深刻になったと著者は考えている。そのため、自分の存命中はこの問題は解決できないだろうと思いながらも、自分なりの責任を果たすために、鈴木氏は悲壮な覚悟で講演を引き受け、執筆を続ける。

私が本書で特に着目したのは、鈴木氏の在日「問題」への向き合い方もさることながら、氏のサルトル論である。「投企」(73頁)や「アンガージュマン」(91頁)など、行動する知識人として一世を風靡したサルトルの思想的意義について的確に論じている。たとえば、サルトルが来日した当時、フランス大使館を含めすでにサルトルは時代遅れであり、代わりにヌーヴォー・ロマンなどがあるという風潮である(フランス大使館が名前をあげたビュトールロブ=グリエを鈴木氏は「いずれもお話にならないほどの小モノ」と評している(191頁))。ほかにも、一見するとロラン・バルトのテクスト理論によって時代に遅れになったかのように評価されたサルトルの方法論にこそ、文学者の人間理解の神髄(普遍性)が存在するというのである。サルトルが評伝を書いたジュネやフローベール、とりわけジュネ論を鈴木氏は小松川事件の犯人として処刑された李珍宇の驚嘆すべき読書量と読解能力と重ね合わせる(ジュネと李珍宇は二人とも獄中で思想形成を成し遂げたという点で共通する)。李珍宇の心中に入り込むなど、日本人である自分には本来おこがましいことである。しかしながら、あえてそこに踏み込むことこそが文学者としての自分の仕事である、と。

鈴木氏がくりかえし述べる、バルカン半島の歴史家たちの3点の申し合わせ「批判の刃はまず自分に向ける」、「相手の立場で考える」、「バルカン諸国の歴史家だけで自律的に行う」(140頁、176頁)は彼の座右の銘となっているようで、「とくに第一と第二の点は、異民族関係の基本だと思っています」(141頁)という。私も全面的に賛成する。自分を棚上げして他人を非難しているつもりになっている連中に、鈴木氏の爪の垢でも煎じて飲ませたい。

閏月社
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本の紹介

小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている――アングラ経済の人類学』春秋社、2019年

久しぶりに人類学者の本を読んだ。私は経済人類学にはなじみがないので、本書の真の評価はできないのだが、それでも著者が筆達者であることはわかる。練達のフィールドワーカーとはこういう人のことを言うのだろう。とにかく、著者が香港で出会うタンザニア人をはじめとするアフリカ人たちの生活がおもしろい。まるで「魔物の巣窟」であるかのように想像する人も多い一角が、著者の手にかかると、危険ではあるが「普通」の生活の場であり、また同時に驚くべき多様性に満ちた取り引きの場であり、相互扶助の場でもあることが生き生きと描かれる。こういう本に出会うと、「ライティング・カルチャー・ショック」( James Clifford, George E. Marcus, Writing Culture: The Poetics and Politics of Ethnography)とはいったい何だったのだろうかと一瞬思わされてしまう。

本書のおもしろさは、著者が出会う人々や彼ら/彼女らが起こす騒動などのエピソードにあり、ここでは一つ一つ紹介することはしない。私なりに著者の主張を要約すると、この人たちの一見野放図な人間関係模様は、実はかなり経済合理的であり、それなりに理にかなったものであるということである。ただし、彼ら/彼女らは経済目的を優先するために自分の楽しみを犠牲にするのではなく、著者の言葉を借りれば「ついで」の論理で多くの仕事や人間関係をやりくりする。だれかに頼まれごとをされれば、自分の用事の「ついで」にできることであれば引き受け、自分の家族にお土産を届けてほしいと知人に頼めば、友人の方は自分の荷物に余裕があれば「ついで」に運んであげる、といった具合である。著者が出会った人々は、だれも完全に信用できる人間はいないと口々に言うのであるが、かといってまったく信頼していないわけではない。資本主義経済下で高度に発達した信頼関係とは別種の論理による信頼と助け合いの仕組みが成り立っている。著者の専門である経済人類学でいえば、「この「開かれた互酬性」は、メンバー相互の信頼や互酬性を育むことで「善き社会」を目的的に築こうとする「市民社会組織」の論理よりも、情報通信技術(ICT)やモノのインターネット化(IoT)、AI等のテクノロジーの発展にともない注目されるようになったシェアリング経済の思想により近しいものにみえる」(87頁)。たとえば、私はどうしてこれが成り立っているのかよくわからなかったものの、本書ではTRUSTという、彼ら/彼女らが既存のSNSを利用して運用している商売上のクラウドファンディングのようなものがある。著者曰く、これより洗練されたシステムは世界中にいくらでもあるが、「特別なプログラミング能力も仮想通貨も要らないし、誰にでもできる」(254頁)(私には無理だが)仕組みは、人類学者の用語でいえば、現代版ブリコラージュ(間に合わせの技法)ということになるのかもしれない。

私の乏しい経験でも、かつてアフリカ(著者の主要な調査地であるタンザニアを含む)を旅行していたとき、この人たちはダメもとで物事を頼んでくるなと思ったことがある。旅先で出会ったお礼に手紙を送ると、○○を買って送ってくれ、など。親しくなったわけでもないのに、よく気軽に頼むものだなとそのときは思ったが、日本の表面的には礼儀正しいが堅苦しい人間関係とは丸きり異なった関係のあり方が存在することだけは理解できた。本書を読むと、ダメもとのやりとりも含め、騙し騙される可能性や危険性を承知の上で、相手の事情を詮索せず、緩いつながりを保っていることこそが、人生を楽しみつつ彼ら/彼女ら経済合理性を追求するカギなのではないかと思えてしまう(実際にはそんな単純なものではないのだろうが)。私にはこんな生き方はとてもできないと思いつつ、自分の生活をよい意味で相対化するにはもってこいの本である。

なお、多少学問的なことを付け加えると、本書は経済人類学者の視点から書かれているものの、他分野の研究とも接続可能である。たとえば、香港という異郷で亡くなったタンザニア人を故郷に送り返すため人々が協働する様子は、移民研究でも議論されてきた(相互)扶助であり、また郷里でビジネスを展開したり寄付をしたりする活動は、これも移民研究で議論されてきたホームタウン・アソシエーションと類似している。読みやすいエッセイとして書かれているため、学問の世界には通じていない人も読めるし、またその中で展開されているアカデミックな議論は他分野の研究者にも参考になるという点で、多くの読者を楽しませる本である。

 

 

 

 

本の紹介

山根実紀『オモニが歌う竹田の子守唄――在日朝鮮人女性の学びとポスト植民地問題』インパクト出版会、2017年

読後の感想は、あまりに倫理的すぎる、これに尽きる。本書は若くして逝去した著者の遺稿集で、多面的な活動を展開した著者のすべてを網羅するものではなく、主として夜間学校民間学校(オモニ学校)における教師と生徒の権力関係を中心とした考察を収めたものである。

最初私は、なぜ著者は若くして世を去らなければならなかったのかという点が気になり、それに関する記述を本書内で探してみたのだが、くわしいことはふれられていない。繊細な問題を含むため、あえて詮索しない方がよいのだろう。ただ、著者自身の言葉を借りれば、文字通り「身を削って」(202頁:これは他のサバイバーを著者が表現している言葉であるが、著者にも当てはまるし、何より、この個所に行き当たる前に途中で、私自身が著者のことをこう表現したくなった)書かれた文章の束である。

著者の問題意識は鮮明で一貫している。それは、識字教育を受ける在日朝鮮人自身の「主体性」であり、それ以上に教師である日本人の問題の引き受け方である。著者自身が識字教室で教師の経験があり、そこから出会った女性たちを対象に研究者としての道を踏み出すことになるのだが、そこで著者が気付いたのは、自分を含め自らの権力性に無自覚な教師たち(著者はこのような言葉を使っていないが、自分の役割や肯定的な自己イメージに酔っている、とでもいえばいいのか)であり、本書のきつい言葉を借りれば、「夜間中学では生徒に「民族的自覚」を促そうという試みに目が向き、オモニ学校では「オモニ」という他者の存在による自己の肥大化が「感謝」する関係性を変革することができなかった」(249頁)。「自己の肥大化」とは言い得て妙である。著者は、自分はいいことをした、それを他者に承認されたい、という欲望から行動していたのに過ぎないのではないか、という疑問を抱く。この自分自身に刃物を突き付けるような問いがくりかえされ、読んでいて痛々しい思いに駆られる。そんなに自分を追い詰めなくてもよいのではないか。もっとも、私がこう思うのも、おそらく「亀の甲より年の劫」に過ぎず、若さゆえの問題の突き詰め方というものが鮮明に表れている。

著者の繊細さは、いくら言葉を重ねても表現しきれず(それは著者自身の悩みでもあったはずだ)、私のもどかしさを書き連ねるよりは、本書の記述に即してたどってみたい。一例として、日本人教師が通名で通っている生徒に対して、本名を名乗るよう働きかける運動があり、在日朝鮮人の「主体性」を形成するものとして取り組まれた時期があった。ところが、著者は「本人が「本名」を把握していない」(172頁)事例と出会い、そのような運動がそもそも不可能な人はどうするのか、と考えざるをえない。「教師たちの予め設定した生徒像を押し付けかねないのである」(同)。

また、識字教育に対する鋭い指摘は、フレイレの『被抑圧者の教育学』批判にも表れている。J.E.スタッキーの議論を参照しながら、著者は「フレイレの議論には、あたかも識字を獲得しなければ「意識化」できず「解放」されないと思わせるような側面があることを(スタッキーは:引用者補足)指摘している」という(209頁)。つまり、文字の読み書きがあたかも解放の必要かつ不可欠条件であるかのように語られ、それが多数派の序列に組み込まれることの差別性を無視するのは一面的ではないかというのだ。この指摘は、少数派の「主体性」を称揚するあまりに、多数派の権力構造に無自覚な研究者たちの死角を突いている。

また、公立夜間学校における識字教育とオモニ学校を比較した論考(修士論文)では、「オモニ学校では、「オモニ」からの糾弾という行為は、具体的にはみられない。日常的に衝突することは個々人の人間ではあっただろうが、夜間中学のような緊迫した空気というのは、ボランティアたる教師と「オモニ」との関係ではほとんどなかったようである。おそらく、ボランティアで集まったものたちに教えてもらうという空間では、日本人教師たちも自覚していたように、感謝の言葉しか出てきにくかったという事情があったと思われる。むしろ、先に引用したような、在日青年からの「告発」という形で、日本人教師の立ち位置を常に意識させてるとともに、教師側の在日青年と日本人青年との対話の場になっていた。オモニ学校における人間関係が、単に日本人教師と在日朝鮮人生徒という二項対立的な関係にとどまらず教師間にある在日青年と日本人青年という三者間の幾重もの関係が、オモニ学校の実践を生み出してきた点で特徴的である」という(245‐6頁)。つまり、単に日本人教師とオモニの関係を見れば二項対立に陥りがちな関係も、在日青年という第三項を加えることによって、二項対立を脱構築し、より積極的な意義を見出すことが可能であるというのだ。ただし、留保しておかねばならないのは、このことはオモニ学校の方が可能性に満ちているとは単純にはいえないことである。私見では、教わる側から厳しい要求を突き付けられることが多いと報告されている公立夜間学校の方が、むしろ日本人側の「主体性」を問うという意味では、可能性があったのではないかとも思われるからである。

著者が他に変革の可能性を見出しているのは、日本人教師だったある女性が、教え子のクリスチャンのオモニから、先生がクリスチャンになるように祈ると言われて、その後実際に洗礼を受ける事例である。この日本人教師N氏は、オモニのことをこう表現する。「ものすごく大きな等身大の自分を映し出す鏡って、わたしはよく表現するんだけど、自分より完全に大きな存在じゃないと映し出せないじゃないですか。その完全に大きな存在だったんですよ、オモニというのは」(282頁)。このエピソードは、私にとっては腑に落ちる話で、私自身、このようなマイノリティ女性に出会って、この人は私よりはるかに人間的に優れている、と関心させられたことがある。多数派と少数派の違いを超えて、素直に感動させられる瞬間というものが確かに存在するのだ。

とはいえ、そのような楽観的なトーンは、本書のごく一部にすぎない。教員の側から見てもっともきつい「告発」は、駒込武氏が担当した授業に出席した際のレポートで(194‐203頁)、暴力シーンが含まれる映像を駒込氏が予告なしに授業という場を用いて権力作用の下で見せたことについて、配慮が足りなかったと批判している。私が駒込氏ならこの一文を本書に収録しなかったと思うが、著者らしさが端的に著されている文章である。

 

本書について、アマゾンでレビューが一つだけあった。なるほどと思うところがあり、そのまま張り付ける。

彼女のひたむきと純粋さに星一つ加えた。それがなければ、目を背けたくなるような残酷な相貌が種々の論考から浮かんで来て星一つだ。なんて可哀想に、そう、思った。彼女が日本に向けている批判のいくばくかが、共感の対象にもはあてはまらないのか?この様な目配りが出来なかったのは、畢竟、彼女の責任になろうが、彼女の教導者に責任はないのだろうか?彼女の論考は、ほぼ、この教導者の思惑に沿って展開されているからだ。そこに疑いの目を向けられなかったのが、彼女の悲劇だった。もっとも、それは、部外者の眼に過ぎないだろう。彼女自身は、微塵も疑いも逡巡も感じていなかったろうから。

 

この評者の言いたいことはわかる。ただ、著者を「教導者」のエピゴーネンと決めつけてしまってよいのかどうかについては、私には異論がある。たしかに、若くして亡くなったため、本来より深く広く展開されるはずだった論考が中断されてしまった感は否めない(本書に収められた京都大学修士論文字数制限が惜しまれる)。それでも、この問題意識やその突き詰め方は、著者独自のものであろう。仮にそれを表現する言葉が自分のものとして熟していないとしてもである。著者をよく知りもしない人物が、匿名で(この評者もブログも公開されてはいるが)、しかも印象論で当人を断罪してしまうのは、傲慢というものだろう。この評者はもっと生産的な読み方ができなかったのだろうか。本書から学ぶべきことは、著者の「教導者」への追従ぶり(駒込氏の寄稿文中の言葉を借りれば「ステレオタイプ」)(297頁)ではなく、著者が問題に向き合った姿勢そのものであろう。何より、前述の駒込氏を批判したレポートが本書に収録されたことによって、著者が「教導者」にただ従うだけの「教え子」というより、「教導者」を乗り越えようとしていた様子がうかがえる。私なら収録しないだろうと書いた文章を、駒込氏があえて本書に採用したのは、著者のこのような意思を証拠として示したかったからだろうと推測する(私は匿名の書評氏よりも、駒込氏の方が信頼できる書き手として尊重する)。その意味で、本書は、単に独りよがりではない著者の問題意識がまっすぐに追究された本として、居住まいを正して読みたい書物である。まだまだ言い足りないことは残るが、ここでは著者の達成を言祝いで終わることにする。(この項書きかけ)

 

本の紹介

岡真理『ガザに地下鉄が走る日』みすず書房、2018年

著者はアラブ文学とパレスチナ問題の専門家で、私はまったくの門外漢ながら、著者の『記憶/物語』や『彼女の「正しい」名前とは何か』を読み、著者の繊細で文学者らしい感性に感心した記憶がある。岡氏の著作を手に取るのは、私にとっては久しぶりのことであり、門外漢ゆえどこまで理解できるのかおぼつかないと読み始める前には思ったものの、それは余計な心配であった。読むうちに引き込まれ、何度かうなずきたくなる場面や言葉に遭遇しては、ページを繰る手を止めて考えさせられた。

以下、印象に残った個所を記す。「植民地主義というやつはね、人間から脳みそを引っこ抜いてしまうんですよ」(36頁、在日高齢者無年金訴訟原告の言葉)、これはパレスチナ難民と在日コリアンの置かれた状況の共通性を示す言葉として引用されている。また、パレスチナ人映画監督を京都のウトロ(在日コリアンの集住地で、住民たちは「不法占拠」とされた)に案内したところ、「日本にも<難民キャンプ>があるとは知りませんでした」と彼は語ったという(198頁)。

イスラエルレイシズムアパルトヘイトと断じ、これを公然と批判するマンデラデズモンド・ツツ大司教も、シオニストから「反ユダヤ主義者」と誹謗されている」(92頁)。シオニストたちが反差別の闘志たちを差別主義者と断ずるとは、何たる倒錯か。「イスラエルの女性国会議員アイェレト・シャケド(一九七六-、二〇一五年より法務大臣)が自身のフェイスブックに、パレスチナ人も殲滅の対象である、なぜなら彼女たちはその体内で蝮の子(すなわちテロリスト)を育てるからだ、という文章を掲載して世界的な非難を浴びた」(118頁)。産めよ増やせよ、が国家に奉仕する国民を多産するよう女性を激励する言葉だとすれば、その裏返しで、「敵」の「産めよ増やせよ」を体現する(とシャケドが見なす)女性は殲滅の対象である。女性が「男並み」にナショナリズムに取り込まれるとこうなるという醜悪さ。

スペィシオサイド(spacio-cide)とは、パレスチナ難民二世の社会学者、サリ・ハナフィが「空間の扼殺」を言い表すために用いた概念で、それは「単に空間を物理的に破壊することを意味するのではない。「空間」とは人間が人間らしく生きることを可能にする諸条件のメタファーである。入植地建設や分離壁によって生活の糧である土地が日常的に強奪され、農業を営むにも慢性的な水不足に置かれ、夥しい数の検問所や道路封鎖によって移動の自由もない」状態をいう(221‐2頁)。これは「ガザ攻撃は、世界市場にイスラエル製の兵器の性能を宣伝するためのデモンストレーションの役目を果たしている」(247頁)という現状にも通じる。

本書で私にとってもっとも衝撃的だったのは、エリ・ヴィーゼルパレスチナ人の集団殺戮を行なうイスラエルを擁護し、英米の主要紙に6万ドルの意見広告を掲載した件である。彼は「今日、私たちが耐え忍んでいるのは、ユダヤ人対アラブ人の戦闘でも、イスラエルパレスチナの戦闘でもない。それは、生を讃える者たちと、死を称揚する者たちのあいだの戦い、文明と野蛮のあいだの戦いである」と主張した。これに対して、ナチスによるジェノサイドの生還者や子孫たちは彼を批判する声明を発表、「「二度と繰り返さない」というのは、誰の上にも二度と繰り返さないということを意味するのだ!」という言葉で声明を締めくくっている(252‐3頁)。エリ・ヴィーゼルともあろう人が、植民地主義者の古典的「文明/野蛮」の二分法に陥ってしまうとは、彼ほどの人であっても常に自己を顧みることがいかに難しいものであるかを示している。

本書の中で、相手の心情をたしかめ(られ)ないまま、著者がやや過剰というか勝手な解釈をしているのではないかと思われる記述もなきにしもあらずだが(必ずしも著者の解釈がまちがっているとはいえないものの、正しいという確証もない、という意味)、それは小さな瑕疵というものだろう。そのような記述も含め、本書は著者の感性に読者がどこまでついていけるか、試されるような書物だと思う。

 

 

 

本の紹介

目取真俊『ヤンバルの深き森と海より』影書房、2020年

一言で言うなら、深い怒りに全編覆われた書物、ということになろうか。私にとって目取真氏とは、鋭い刃をヤマトゥンチューに突き付ける論客であり、その印象は本書を読んだ後でもまったく変わらないどころか、むしろ強化されたといってもよい。

ヤマトゥンチューで、ヤマトゥンチューに根強い不信感を持つという目取真氏の主張を私が要約するのもおこがましいので、ここでは印象に残ったいくつかのエピソードを紹介するにとどめる。一つ目は、ヤマトから沖縄に移住してきた男性A氏の話で、彼は自然破壊に注意を払わない地元住民を批判し、孤軍奮闘しているつもりになっていたが、それでも現住居の環境には満足し、移住を成功だと思っていた。しかし、「目の前の海と砂浜が、かつて埋め立て計画があったのを住民が猛反対して守ってきたものであり、自分の住んでいる場所が、村の聖地であるウタキの一部を切り崩した場所であることをヤマトゥンチューA氏は知らなかった。/琉球自治を目指す彼のたたかいは、まだまだ続く」(55頁)。最後の一文はもちろん皮肉である。ああ、勘違いもはなはだしいとしか言いようがあるまい。

二つ目は、「集団自決」をめぐる、いわゆる大江・岩波訴訟である。大江健三郎岩波書店を訴えた赤松・梅澤両氏は、もともと裁判に関心はなく、原告側の弁護士に乗せられて訴訟を起こしたのだという(57頁)。これまた弁護士の知識と関心を悪用した、「腐れヤマトゥンチュー」とでもいうべき輩である。

三つ目は、いわゆる基地「移設」(本当は新建設なのだが、矮小化のためこの言葉を使う政治家がいかに多いことか)問題である。「「沖縄にいらない基地は本土にもいらない」あるいは「本土の沖縄化反対」ということをヤマトゥの平和運動家が口にする。そういう言葉を見聞きすると、不快感が込み上げてならない」(180頁)。この気持ちはよくわかる(というのはまたしてもおこがましいが)。なぜなら、70%以上の米軍基地を沖縄に押しつけておいて、たかだか一つの基地を「本土」に引き取ったところで、それを「沖縄化」というには程遠いからだ(もちろん基地を作られた住民は迷惑だが)。

もっとも、目取真氏は「たかが抗議行動で命など賭けていられるか」とも言う(306頁)。このくだりは、連日のように辺野古の建設現場に足を運び、カヌーを操って文字通り体を張ってまで反対行動に参加する彼自身の身を「命懸け」と表現する人たちに対する違和感(反感ではない)として表現されている。たかだかこんなことで命をかけてはならないし、世界にはもっと過酷な闘争に従事している人々もいるからだ。

他にもいろいろ書きたいことはある。辺野古の「現場にはまだ収骨されない遺骨(注:沖縄戦時のもの、引用者補足)が残っている可能性がある」(327頁)。それなのに工事を強行する政府は、死者を追悼するどころか、死者を鞭打つ非道な権力であり、それを支えているのが「本土」の人間である。そのことに対するいささか忸怩たる思いも私の中にはある。また、辺野古で活動中に突然拘束され米軍基地に長時間留め置かれた際には、「県選出の国会議員や弁護士が、外務省沖縄事務所、名護署、海上保安庁、沖縄防衛局などに問い合わせても、分からない、ここには身柄が来ていない、などの返事で、私が基地内でどういう状況にあるか確認できなかったという」(338頁)。まさしく「これは異常であり、恐ろしいことではないか」(同)。付け加える言葉はない。人権の「じ」の字もこうした連中の頭の中にはないのだ。

再びヤマトゥの話に戻ると、2016年に米軍元海兵隊員によって殺害された20歳の女性の事件の報道後、埼玉での集会で彼が講演した後での質疑応答では、「出てきたのは自分の活動や思いを延々と語るもので、事件についての質問すらなかった」という(357頁)。これまた私にとっては「あるある話」で、よく集会の主題に関係のない、個人的エピソードを長々と披露する人をみかけてきた。それにしても、だれのための集会なのか、参加者は考えなかったのだろうか?

これ以外にも、翁長知事の逝去を悼む文章には、感受性が衰えて喜怒哀楽に乏しくなっている私でさえ、不覚にも涙してしまった(少しだけだが)。その他、目取真氏のエネルギーを受け止める覚悟と勇気のある人は、直に本書を手に取っていただきたい。それだけの価値は十分にある本である。

 

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